伯耆国 八橋郡

とっとりはんだいば あかさきだいば

鳥取藩台場 赤崎台場

鳥取県東伯郡琴浦町赤碕 鳥取藩台場 赤崎台場

所在地

鳥取県東伯郡琴浦町赤碕

城 名

とっとりはんだいば あかさきだいば

鳥取藩台場 赤崎台場

江戸末期から幕末頃の表記に因む

別 名

とっとりはんだいば あかさきだいば

鳥取藩台場 赤碕台場

現在の地名に因む名称。国指定前はこちらが正式な表記であった

 

はなみがただいば

花見潟台場

 

築城主

武信佐五右衛門

築城年

1863年(文久3年)

廃城年

不詳

形 態

砲台場

武 装

六尾反射炉製 砲台3門(鉄造十二斤砲×1門、鉄造三斤砲×1門、御銘入鉄造五寸径砲×1門)※非現存

遺 構

郭跡、土塁、石塁

 

いずれも埋立

 

鳴り石の浜に所在

現 状

原野

備 考

国指定史跡(平成28年3月1日指定)

縄張図

鳥取藩台場跡 赤崎台場跡発掘調査報告書に図示あり

城 主

池田

武信佐五右衛門

鳥取藩の郷士で私財を提供し台場建造にあたる

参考資料(史料及び文献、郷土史など)

赤碕町誌(昭和49年11月 赤碕町誌編纂委員会)

琴浦町埋蔵文化財調査報告書第13集( )

鳥取藩台場跡 赤崎台場跡発掘調査報告書(2015年7月 鳥取県東伯郡琴浦町教育委員会)

羽合町史 前編(昭和42年10月1日 羽合町史編さん委員会)

新修羽合町史(平成6年1月31日 羽合町史編さん委員会)

年 表

1863年

文久3年

在地豪農で鳥取藩郷士、武信佐五右衛門が資金を提供し、赤碕の松林に半円状の台場建設を開始する。

完成時期は不明だが年内或いは翌年に完成としている。

概 略

JR赤碕駅から500mほど北に進み、国道9号線から更に200mほど北に進んだ位置に所在する。

江戸後期~明治初期頃の地図には松林の中に孤立した状態で半円状の台場が描かれている。

国指定史跡となる前は埋め立てられた郭跡の上に縫製工場跡地の基礎を残す状態で売地となっていた。

 

御褒賞帳(慶應3年8月21日の条)

赤崎御台場

武信佐五右衛門 締役五人、御用懸り 五人、大砲打手 三拾人、〆 四拾人

 

御褒賞帳では伯州分御台場請人数として人員配備の詳細が記されている。

 

2016年(平成28年)3月1日

国指定史跡に追加指定される。

指定前は現在の地名表記に倣い「赤碕台場」を正式名称としていたが、国指定史跡化に伴い江戸時代の表記に倣った「赤崎台場」へと変更されている。

 

台場より500mほど西の海岸には鳴り石の浜に石塁が見られる。

詳細は不明だが元寇防塁を髣髴させる造りの石塁が海岸線に数百m続く。

写 真

2018年4月28日

現地案内板

現地案内板

埋め戻し後の主郭

主郭

海岸線と石塁

石塁

海岸線と石塁

石塁

海岸線と石塁

石塁

海岸線と石塁

石塁

石塁

石塁

2014年12月19日

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

発掘調査中

北側土塁

北側土塁

北側土塁

北側土塁

石塁

石塁

石塁

石塁

石塁

石塁

石塁

石塁

石塁

石塁

石塁の遠望

石塁遠望

石塁の遠望

石塁遠望

石塁の遠望

石塁遠望

海岸線と石塁

海岸線

海岸線と石塁

海岸線

海岸線と石塁

海岸線

海岸線と石塁

海岸線

2013年9月14日

国指定史跡前の状態

国指定以前

国指定史跡前の状態

国指定以前

台場からの日本海

眺望

空堀跡

空堀跡

発掘調査前の主郭

発掘調査前

史跡指定前の工場跡

発掘調査前

史跡指定前の工場跡

発掘調査前

土塁の名残

発掘調査前

土塁の名残

発掘調査前

西側の土塁

発掘調査前

西側の土塁

発掘調査前

北側から土塁

発掘調査前

土塁の境界

発掘調査前

土塁の名残

発掘調査前

土塁の名残

発掘調査前

土塁の名残

発掘調査前

コンクリート護岸

コンクリート護岸

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