武将列伝帖
まつなみ ひろとし
松波宏年
【氏】不明【姓】不明【名】松波【通称】徹翁【諱】宏年
別 名
松南徹翁(まつなみ てつおう)
旧 名
田中六郎兵衛(たなか りくろうべえ)
松波六郎右衛門(まつなみ りくろうえもん)
出 身
不明
官 途
正五位、右衛門尉
所 属
池田氏
生 年
1814年(文化11年)
没 年
1884年(明治18年)
- 列 伝 -
伯耆国汗入郡今津村の大庄屋。境台場、淀江台場を設計した松波宏元の父。
元の名は「田中六郎兵衛」。
鳥取藩の郷士に取り立てられると「松波宏年」へ改名、剃髪後に「松波徹翁」、晩年には松波から松南へと改姓している。
1834年(天保5年)、20歳の若さで汗入郡今津村の大庄屋役を務めた。
1855年(安政2年)、鳥取藩の郷士に取り立てられると「松波宏年」を名乗っている。
御国御目付日記では1858年(安政5年)12月25日の記録に「松波六郎右衛門」と見えることから、改名が周知されるまで時間を要したことが伺える。
1858年(安政5年)12月、今津から淀江にかけ池田周防と共に沿岸防備の担当となる。(御国御目付日記 安政五年十二月二十五日の条)
1860年(万延元年)、剃髪し松波徹翁と改名。
1862年(文久2年)、所有する今津の土地(田畑)を砲台築造及び台場敷地として無償提供とある。
土地の提供は翌年とする説も見える。
1863年(文久3年)、鳥取藩主池田慶徳の命により各地の重要港湾で鳥取藩台場の建造が始まると、土地の無償提供及び子の松波宏元の設計により淀江台場の建造・完成に大きく貢献した。
淀江台場の完成後は1858年(安政5年)に命じられた沿岸防備と併せ、地元の農兵隊(松波農兵隊、農兵松波隊)を組織し、引き続き池田周防と共に淀江台場の管理を任されている。
佐陀川の河口付近では大砲の射撃訓練、美保関近海へ異国船が侵入すると農兵隊が召集され戦闘準備が行なわれている。
1866年(慶応2年)の第二次長州戦争、1868年(慶応4年)の戊辰戦争に政府軍として参陣し活躍している。
晩年には松波から松南へと改姓しており、「松波宏年」「松南宏年」「松波徹翁」「松南徹翁」は全て同一人物。
1884年(明治18年)に死去。死後の1933年(大正8年)に正五位が追贈された。