最 新 情 報

2024/11/11

伯耆古城札一部デザイン変更のお知らせ

現在各所で頒布中の「伯耆古城札」につきまして、今後の増刷分からは一部デザインを変更しての頒布となります。

城名の揮毫など基本の部分に変更はありませんが、旧来の左側が「令和 年吉日」となっておりました部分が増刷分以降は「令和 年 月 日」と登城日が記入できるように変更となっております。

一部セット売りにつきましては新旧のデザインが混在している可能性がありますのでご了承ください。

 

2025/02/28

伯耆古城図録(湯梨浜町篇)御冠山城

「馬の山の対陣」において吉川元春と羽柴秀吉が相対した際、羽柴秀吉の本陣と推定されている陣城のひとつです。

陰徳太平記では吉川元春と羽柴秀吉の詰将棋のような頭脳戦が披露され、戦闘においては吉川元長の胆力が際立って表現されています。

物語では対陣中、吉川元春によって馬の山の改修が行われますが地形を見ると当城も馬の山の一部と認識されていた可能性も考えられ、当城を含む馬の山砦松崎城を以て羽衣石城及び十万寺に相対したとする戦況が物語に一番沿う構図となりそうです。

(鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内/鳥取県東伯郡湯梨浜町宇谷)

2025/02/21

伯耆古城図録(湯梨浜町篇)御冠山城 吉川元長ノ陣

倭文神社の由緒にのみ登場する陣所です。

因幡鳥取城の落城を聞いた吉川元春は伯耆馬ノ山砦に陣容を構え、吉川元長は倭文神社周辺に陣容を展開したと伝えます。

布陣の夜、神仏の神託を受けた吉川元長は翌日に馬ノ山砦へと引き揚げてしまうため、伝承に伝える以上の情報は解りません。

(鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内)

2024/06/24

伯耆古城図録(倉吉市篇)下福田城

伯耆高城城を詰めの城とした居館部と推定される城跡ですが現時点で文献には一切の記述が見えません。

立地から考察すると詰め城としたのは伯耆高城城ではなく、伯耆高城大平山城と考えられます。

残存する遺構から考察すると水運を管理した港湾施設と考えられますが、字名に「定福寺」「阿弥陀居寺」と見えることから寺院であったことも伺えます。

※googleMapで上福田に所在とありますが、誤りのようです。

(鳥取県倉吉市下福田)

2023/07/13

伯耆古城図録(倉吉市篇)南条屋敷 / 備前屋敷

打吹公園内に鎮座する鎮霊神社の鎮座する平坦地に所在したと伝えられます。

伯耆民談記では「南条屋敷」で統一されていますが、地元では「備前屋敷」と呼ばれます。

これは城館に居住した「南条備前守」の名或いは官途に由来するものですが、ここに登場する備前守は南条元信と考えられます。

南条家で「備前守」の官途を名乗ることは家臣団でも重要な立場を担うことであり、南条元信は嫡男ではなく弟の南条信正に「備前守」を譲っています。(南条信正は後の南条元続の後見人とされます)

城歴については打吹山に備前丸を普請するために建てられたことが見えますが、廃城を一国一城令発布後か、倉吉陣屋が完成するまで存続したとするかでやや幅があります。

(鳥取県倉吉市仲ノ町)

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