東伯郡琴浦町に所在したと伝わる古城跡
篦津城
琴浦町篦津
篦津陣場
篦津豊後守の埋葬地とされる。
赤碕町内遺跡発掘調査報告書Ⅶ(平成10年3月 鳥取県東伯郡赤碕町教育委員会)では箆津1号墳 古根山遺跡として、勝田川左岸の墓地の一角に所在としている。
1359年(正平14年/延文4年)、勝田川の戦いで箆津豊後が討死し埋葬されたと伝えている。
琴浦町篦津
山川城
伯耆民談記の山川村の条に「勝田ヶ山の下に細木原城、柴尾神社の裏山近辺には山川城」とある。
琴浦町山川
大仏山城
高木村に所在したことから別名に高木城と呼ばれる。金尾村の南側に位置する。
応永年間(1394年~1428年)、池田七郎定久という者が備前国から移転し西の山に城を築いたと伝え、別名に「真道成仏ノ城」とも称したとある。
池田家系図略記には本丸は縦22間、横10間、二ノ丸は縦16間、横10間、三ノ丸は縦11間、横6間とし、永享年間(1429年~1441年)に落城とある。
琴浦町宮木
湯坂城
別名に長谷城。鳥取県東伯郡琴浦町町内遺跡発掘調査報告書(2015年3月発行)に記載が見える。