日野郡日野町に所在したと伝わる古城跡

鳥取県日野郡日野町黒坂

日野山名氏の築城と伝承が残る。

鳥取県日野郡日野町黒坂

関一政の転封後、旧黒坂城の裾野に築かれた新たな居城。

 

黒坂要害山城

鳥取県日野郡日野町黒坂

日野山名氏、或いは日野氏の居城とされる。黒坂の要害山とも。

源平盛衰記に登場する日野郡司義行の本拠地と伝えている。

1592年(天正20年)正月11日、毛利輝元が朝鮮出兵の折、黒坂の留守役を吉川氏に命じており、当城のことと推定している。

鳥取県日野郡日野町中菅

大永の五月崩れに登場する城郭。

鳥取県日野郡日野町中菅

大永の五月崩れに登場する。不動ヶ嶽とする周辺城郭群の総称。

鳥取県日野郡日野町中菅

大永の五月崩れに登場する拠点の一つ。香川光景が在陣。

鳥取県日野郡日野町中菅

三村家親の居館と推定される。

鳥取県日野郡日野町根雨

馬田次郎兵衛の居城。

 

鵜城

鳥取県日野郡日野町舟場

詳細不明。

 

 

上菅城

鳥取県日野郡日野町上菅

詳細不明。

 

上菅城ノ越城

鳥取県日野郡日野町上菅

菅福郷土史(平成15年3月 菅福歴史文化会館)では菅ノ城跡としている。

菅福小学校体育館の裏山が城山(じょうやま)と呼ばれ、城の周りには西に陣屋と馬場、東に馬場塩とする地名があるとする。

日野町歴史文化事典2002(日野町観光協会)では高宮の里からの引用として菅ノ城跡としている。

旧菅福小学校の裏山は城跡と呼ばれている。北方は断崖で下は日野川が流れる。東には大畑川があり、南は急峻な山となる。西の陣屋、西の馬場、東の馬場、塩倉、番所倉などがあったとしている。

 

金持城

鳥取県日野郡日野町金持

金持景藤の居城。小要害、大要害を合わせた城域か。

 

金持小要害

鳥取県日野郡日野町金持

金持景藤の居城。

 

金持大要害

鳥取県日野郡日野町金持

金持景藤の居城。

 

久住所在城

鳥取県日野郡日野町久住

鎌倉山城の支城と推定される。

 

倉谷城

鳥取県日野郡日野町

詳細不明。

 

下榎彦谷城

鳥取県日野郡日野町下榎(字彦谷)

字彦谷に所在。

鳥取県日野郡日野町下黒坂

平宗盛の属将の居城。竹矢の材料が無尽蔵に取れたことが地名の由来とされる。

鳥取県日野郡日野町下黒坂

平宗盛の属将と関係する城砦と推定される。

 

上代ヶ原城

鳥取県日野郡日野町貝原

伯耆志の貝原村の条に「村の東五丁許上代ヶ原という地あり。伝なし」とある。

 

多武の峰城

鳥取県日野郡日野町多武

詳細不明。

 

津地城

鳥取県日野郡日野町津地

詳細不明。津域城とも。

 

濁谷城

鳥取県日野郡日野町濁谷

詳細不明。

 

根妻要害城

鳥取県日野郡日野町下黒坂

根妻城とも伝える。

黒坂開元記抄では下黒坂根妻地内にあり、北側、西側は天険の様相となり、東側、南側は共に日野川に直面して自然の要害を成すとする。

鳥取県日野郡日野町下榎

長谷部信連の居館。

 

平林城

鳥取県日野郡日野町本郷

渡里新左衛門の居城。標高210mにあることから渡里氏の居館と推測される。

 

城ヶ原城

鳥取県日野郡日野町本郷

渡里新左衛門の居城。標高330mにあることから詰城と推測される。

鳥取県日野郡日野町別所

毛利方の守将の墓があったと伝わる。

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