伯耆古城図録

くろさか かがみやまじょう

黒坂鏡山城

鳥取県日野郡日野町黒坂

別 名

黒坂陣屋(くろさかじんや)※関氏改易後

遺 構

土塁、郭、虎口、堀、井戸

現 状

山林、公園

城 主

(関方)関一政

(池田方)福田久次福田久重、福田久隆、福田久武、福田久品、福田久茂、福田久命福田久寧、福田久鎮、福田久徴、福田久就山上半太夫

築城年

1612年(慶長17年)築城開始

1614年(慶長19年)完成

1618年(元和4年)より黒坂陣屋へ縮小

廃城年

1618年(元和4年)

関家の改易に伴い破却とする。

築城主

関一政

形 態

平山城

備 考

史跡指定なし

参考文献

伯耆志

黒坂開元記抄(江戸時代編纂 著者不明)

日野町誌(昭和45年5月 日野町誌編纂委員会)

日野郡史(昭和47年4月 日野郡自治協会)

樵濯集(昭和48年7月 栗木尚謙)

黒坂歴史めぐり(平成23年3月 黒坂鏡山城を知ろう会)

縄張図

黒坂鏡山城略測図(鳥取県教育委員会提供)

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

 

概 略

1614年(慶長19年)、伊勢国亀山の領主、関一政が黒坂藩主として転封された後に新しく建造された城砦。

 

樵濯集では関一政が新城を築くにあたって生山の地とどちらが相応しいかを配下に調べさせている。

 

樵濯集 伯州黒坂城物語(要約)

関長門守が伯州へと転封され、日野郡五万石に相応しい新城を築くため評議を重ねていた。

候補地として黒坂の他、生山には古城の跡も在りと聞き、見分のため軍役の長崎太郎左衛門、副士の小林唯四郎、今木七郎平衛、その他下役の面々を遣わした。

太郎左衛門は黒坂の地を推し、理由として生山は五万石の主将たる人物の住むべき処に非ずと評した。

 

長崎太郎左衛門らの見分結果から生山ではなく黒坂に藩庁が置かれることとなり、1612年(慶長17年)に築城開始、1614年 (慶長19年)に完成と約3年ほどで新城が完成している。

 

1615年 (元和元年)、家中の内紛を理由に関氏が改易されると池田光政の所領となり、以降は家老の福田氏が代々、自分手政治により周辺を治めた。

 

因伯記要 名所舊跡 第七 日野郡 黒坂城の項

(略)慶長十五年、関氏嗣なきを以て家断つ。同年、池田光政の領地となる。寛永九年、池田光仲受封の後、家臣、福田丹波の保管に歸せり。関氏居城の際、町数七ありしと云ふ。

 

1618年(元和4年)に陣屋部分が完成とされ、不要な部分は破却が行われたとしている。

関一政が藩庁として完成させた頃、西側の山頂に所在した伯耆国黒坂城の運用など詳細は不明。

 

年 表

1610年

慶長15年

伊勢国亀山の領主、関一政が伯耆黒坂5万石として転封される。

転封当初は伯耆国亀井山城を居城とし、黒坂5万石の城下町建設のため候補地を探し当地を定めたとされる。

1612年

慶長17年

関一政によって伯耆国黒坂城の麓に当城の築城を開始,、同時に南北3筋・東西5筋の城下町整備も始まる。

1614年

慶長19年

当城が完成。山頂の旧城(中世城郭部分)との連携は不明。

1618年

元和4年

家中不統一を理由に関氏は改易となり、城も破却が行われた。

以後は鳥取藩池田氏の領有となり重臣の福田氏が自分手政治を行っている。

1618年~

元和4年~

廃城後に陣屋部分が築かれ、城奉行の山上半太夫が置かれる。

陣屋は政庁としての機能を持ち、福田氏が11代、城奉行の山上半太夫も世襲により代々襲名し、明治初期まで黒坂を治めた。

地 図

写 真

訪城日 2013/04/13

上 へ

戻 る