「よこたにゃいぜん」って?
現在はそこそこの人口にそこそこの規模を持つ米子市ですが、戦国時代は湿地や沼地、松林の生い茂る…所謂未開の地で、数件の漁師が住まう程度の集落であったと記録に見えます。
そんな辺境の地を「山陰一の商都(山陰の大坂)」と評されるまでの都市へと成長させる基礎を築いた偉大な武将が居ました。
人物についての仔細は列伝を見てもらうとして、米子の町の基礎造りに尽力したとにかく凄い人物!
…なのですが、地元(米子)での評価はイマイチで、悪い風説の方が定説化してしまい評判の良くない人物として語られていました。
一度定説として根付いてしまった情報に対して安直な逆説を説いても受け入れてもらうには高いハードルと時間が必要…それならゆるい展開でやんわり周知していくのはどうだろう…と考え、「横田内膳(よこたないぜん)」を文字って生まれたのがよこたにゃいぜんです。
米子の礎を築いたのが「横田内膳」、これから新しく(米子に限らず)地元を盛り上げていくのが「よこたにゃいぜん」となっていけるように多方面で活動しています。
このイラストの中に出てくるモチーフには横田内膳や地元(米子や大山)にまつわる伝承や伝説が隠れています。