伯耆古城図録

くろさかじょう

黒坂城

鳥取県日野郡日野町黒坂

別 名

鏡山城(かがみやまじょう)、亀山城(かめやまじょう)

遺 構

土塁、郭(腰郭、帯郭、連郭)、竪掘、虎口(平入、枡形)、井戸跡

現 状

山林

城 主

(日野山名方)日野義泰日野義行

(関方)関一政

築城年

不明

廃城年

不明

築城主

日野山名氏

形 態

山城

備 考

史跡指定なし

参考文献

伯耆志

黒坂開元記抄(江戸時代編纂 著者不明)

因伯記要(明治40年5月 鳥取県)

復刻発刊 因伯記要(昭和56年1月 ㈱矢谷印刷)

日野町誌(昭和45年5月 日野町誌編纂委員会)

日野郡史(昭和47年4月 日野郡自治協会)

黒坂歴史めぐり(平成23年3月 黒坂鏡山城を知ろう会)

縄張図

黒坂城略測図(鳥取県教育委員会提供)

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

 

概 略

天正年間(1573年~1593年)、日野義泰の居城と伝える。

日野義泰が上京の際、弟の日野義行が当城を奪ったとするが、後に足利氏の怒りに触れ自刃している。

毛利氏の頃は吉川氏が領有したと因伯記要に記述が見える。

 

因伯記要 名所舊跡 第七 日野郡 黒坂城の項

「日野郡黒坂にあり。鏡山城と號す。天正中、日野義泰の居城たり。義泰上京の暇に乗し弟、義行奪て之に居る。後、足利氏義行か罪を責め自殺せしむ。毛利氏の時に及て吉川氏の領する所となる(略)」

 

築城時期は不明とするが中世、或いはそれ以前からの築城と推定されている。

 

伯耆国内の山城は簡素な縄張の城砦が多いが当城には土塁、虎口(平入、枡形)、竪掘、川濠、櫓台など防御施設が充実しており、縄張についても堅牢な配置が施されていることから相当な築城技術を持った一族(日野山名氏)の領有が推測されている。

残存する遺構の形状や配置についても日野山名氏による築城と伝わる城砦と似た構造が見え、当城に関する伝承にも日野山名氏による築城が伝えられている。

 

特に北の谷を利用した竪掘は伯耆国米子城に見える堀状の遺構(浄昌寺に対する横堀)と構造がよく似ており、米子城飯山城)の築城も日野山名氏山名宗幸によるものとすることから僅かながら関連が推測される。

 

年 表

不明

室町~戦国時代、日野山名氏による築城とされる。

地 図

写 真

訪城日 2019/01/22、2019/02/02

写 真

訪城日 2013/4/13

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