所 属

伯耆山名

日野山名

よみがな

人物名

やまな ごろう むねゆき

山名五郎宗幸

 

別 名

やまな ごろう むねゆき

山名五郎宗之

伯耆山名氏の一族に因むか

 

別 名

やまな ろくろう むねゆき

山名六郎宗幸

日野山名氏の一族に因むか

官 途

不詳

出身地

不詳

生 年

不詳

没 年

不詳

朝臣

宗幸

列 伝

日野郡を拠点とした日野山名氏の一族で山名義幸の子孫と伝える。

日野山名氏の系図を記す一部の山名氏系図では日野山名氏の四代目当主としている。

 

1467年~1469年(応仁年間)から1469年~1487年(文明年間)

伯耆国会見郡の飯之山に砦(伯耆国飯山城を築き、この城砦が伯耆国米子城の始まりと伝える。

飯山城の築城後、消息は途絶えるが日野山名氏の家督を子の山名豊幸山名是幸とする系図もある)が継いでいる。

諱を「宗幸」と伝える場合、日野山名氏は代々「幸」を通字としていることから日野山名氏の流れを汲む人物として認知されていたことが推測される。

諱を「宗之」と伝える場合、山名教之の家臣とする時期もあり、通称を「六郎」とする記述も見えることから伯耆山名氏を出自とする守護家の流れを汲む人物とも推測される。

日野山名氏の系図に見えることから元来は「宗之」を称する伯耆山名氏の一族であったが、日野山名氏の当主として家督を継ぎ「宗幸」を称したことも考えられる。

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