伯耆国 日野郡

ねうじょう

根雨城

日野 根雨城

所在地

鳥取県日野郡日野町根雨(字要害)

城 名

根雨城(ねうじょう)

別 名

根雨要害(ねうようがい)…所在する地名、字「要害」に因む呼称。こちらの呼称が一般的。

 

根雨の要害(ねうのようがい)…周辺一帯を広く表す呼称。

築城主

不詳

築城年

不詳

廃城年

不詳

形 態

山城

遺 構

郭跡、堀切、空堀、竪堀、土塁、土橋、井戸跡

現 状

山林、墓地

備 考

史跡指定なし

縄張図

城 主

尼子

馬田次郎兵衛

郷土史に城主と伝える。(日野郡史、日野町誌)

伯耆国佐川亀山城にも在城を伝える。

参考資料(史料及び文献、郷土史など)

伯耆志(因伯叢書 伯耆志巻四 大正5年10月 佐伯元吉)

日野町誌(昭和45年5月 日野町誌編纂委員会)

日野郡史(昭和47年4月 日野郡自治協会)

年 表

不明

馬田次郎兵衛の居城と伝える。(日野郡史、日野町誌)

馬田四郎五郎の在番も伝わるが、伯耆国佐川亀山城の城主と同一人物とするかは不明。

概 略

一般には字「要害」に所在することから「根雨要害」と呼ばれ、「根雨城」が別名として呼称される。

 

伯耆志 根雨驛の条 城跡の項

要害と呼べり驛の東二丁許の山地なり。古炭の出る事往々あり。五輪塔あり。

 

日野郡史 根雨の要害の項

要害に在り。西に面する山嶺なり。馬田次郎兵衛の居城ありし由。

 

日野町誌には日野郡史と同様の記述が見える。

治山工事による林道整備のため西の主郭(とされる空堀を持った郭跡)と東の郭跡群に分けられている。

林道は元々堀切であったと推測されるが、堀切の北側は一部が埋められ現在のような切通状の林道になったと考えられる。

 

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)では西の郭跡を主郭と推定している。

東の郭跡群の方が標高は高いが郭の普請が雑であると評され主郭とは認められていない。(一般的に山城の主郭は標高の高い方に置かれるため)

 

西の主郭とされる郭跡は街道を見張る櫓などの索敵施設を置き、東の郭跡群はここより東に所在する伯耆国上代ヶ原城との連携を考えての運用が推測される。

写 真

2014年5月17日、2014年5月24日

主郭とされる西の郭跡

主郭

主郭(西の郭跡)への登城口

登城口

主郭の切岸沿いに登城道が続く

主郭空堀

登城道を進むと北の竪堀

北竪堀

主郭を囲む空堀

主郭空堀

主郭を囲む空堀(土塁の上から)

主郭空堀

西側の腰郭

西腰郭

空堀付近から主郭へ続く登城道

虎口

主郭

主郭

主郭は丁寧な造成がされている

主郭

主郭の土塁

主郭土塁

主郭東側

主郭

主郭からの眺め

眺望

主郭南側の竪堀

主郭南竪堀

竪堀の東に堀切(林道で一部改変)

東堀切

堀切は谷底まで続く

堀切

西の主郭と東の郭跡を繋ぐ土橋状の郭跡

土橋状郭跡

土橋状の郭跡

土橋状郭跡

造りが雑と酷評の東の郭跡

東郭跡

東二ノ郭(土橋の東側)から土橋

東二ノ郭土橋

東二ノ郭(西)の土橋から

東二ノ郭

東一ノ郭

東一ノ郭

東一ノ郭の井戸跡

東一ノ郭

東一ノ郭と東二ノ郭を隔てる堀切

東堀切

東一ノ郭と東二ノ郭を隔てる堀切

東堀切

東一ノ郭の南側腰郭

東一ノ郭腰郭

東一ノ郭の北側腰郭

東一ノ郭腰郭

東一ノ郭から北の出丸への道

出丸

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