日野郡日南町に所在したと伝わる古城跡
三田城
詳細不明。
日南町霞
一条山中倉城
詳細不明。
日南町印賀
一条山城
詳細不明。一条山中倉城と同一の城郭か
日南町印賀
印賀城
詳細不明。
日南町印賀
市場城
詳細不明。
日南町下石見
下石見城
詳細不明。
下石見三吉むらの歴史 下の岩(昭和62年10月 三上國武氏)には下石見の古城の条に築城年は不明とするが鎌倉時代に尼子氏の勢力下にあったと推定しているが信憑性は検討項目。
城山の少し上がった所に馬廻と伝える平坦地、また堀もあったとし、内田氏宅が堀家と呼ばれるとする。
下石見古城絵図は古都源八(三代)元文二年死去(1737年)以降に描かれたものとしている。
日南町下石見
下石見砦
詳細不明。
日南町下石見
大倉要害
大倉山西麓の永福寺の上に所在。九州名島城主の麾下、名嶋左馬之介流浪しこの地に居を構え要害としたと伝える。武士墓と言える墓石あり。
下石見三吉むらの歴史 下の岩(昭和62年10月 三上國武氏)
日南町下石見
松本要害
下石見松本山の高所に所在し、尼子方の渡辺石見守の居城とする。
天文年間、毛利方の神福妙見山城主、田辺美作守によって落城と伝える。
現在は要害跡に木野山神社を祀る。
下石見三吉むらの歴史 下の岩(昭和62年10月 三上國武氏)
日南町下石見
友広城
詳細不明。
日南町中石見
道場城
詳細不明。上石見道場所在城とも。
日南町上石見
駒崎城
詳細不明。
日南町上石見
砂子田城
尼子方の持城で別名に富田城と伝わるほど強い関連性を持つ。平安時代から鉄穴流しが行われたとする。
日南町阿毘縁
三沢陣
字「三沢陣」に所在。三沢為虎が在陣。
日南町阿毘縁
解脱寺城
別名に小林城。城跡に解脱寺が建立されたとしている。
日南町下阿毘縁
日野陣
字「日野陣」に所在。三沢陣に相対した陣とする一方、三沢為虎の陣地のひとつとする説も見える。
日野中将謫居の地と伝えるが日野氏については詳細不明とする。
下阿毘縁村古跡とし、解脱寺南方丘陵地帯の東端に在り、明治初期の製作に係る地図(下阿毘縁村地図)に「日之地山」と見える部分とする。
日南町下阿毘縁
七人塚山城
刀工集団、大原安綱(左馬守、或いは五郎太夫)の居館に関係すると推測される。
解脱寺高祖日蓮大菩薩像縁起の一文に七人塚山を日野陣とする記述があるとしている。伯耆民談記では山伏塚山とする。
阿毘縁のあゆみ(昭和47年10月 阿毘縁郷土史編纂会)より
日南町下阿毘縁
山伏塚城
刀工集団、大原安綱の居館に関係すると推測される。
山伏とは山野に起伏して修行することで、修験場の行者、修験者のことを指す。山伏と修験者は異名同質といえる。
大原安綱は天応、弘仁年間の人物とし、太平記巻之三十二 鬼丸鬼切の事の条に鍛冶一心清浄の誠を致して鍛へ出したとある。
阿毘縁のあゆみ(昭和47年10月 阿毘縁郷土史編纂会)より
日南町下阿毘縁
上阿毘縁城
詳細不明。上阿毘縁所在城とする。
日南町大谷
王代城
詳細不明。
日南町福万来
尾郷城
詳細不明。
日南町福万来
神戸城
詳細不明。
日南町神戸
長砂城
詳細不明。
日南町神戸上
八幡城
詳細不明。
日南町神戸上
神戸上所在城
詳細不明。
日南町神戸上
山王城
詳細不明。
日南町神戸上
鉄穴内城
詳細不明。
日南町笠木
小熊井谷城
詳細不明。
日南町宮内
宮内集落北所在城
詳細不明。
日南町宮内
宮内集落南所在城
詳細不明。
日南町宮内
多里城
瓦片が出土。
日南町湯河
亀尾山城
多里城の別名か。
日南町湯河
湯谷城
詳細不明。
日南町湯河
妙見山城
田辺美作守の居城。
日南町神福
小糠子城
詳細不明。
日南町茶屋
是次城
詳細不明。
日南町
外波城
詳細不明。