所 属

尼子

よみがな

人物名

うまだ しろうごろう

馬田四郎五郎

官 途

不詳

出身地

不詳

生 年

不詳

没 年

不詳

朝臣

不詳

列 伝

宇多源氏(隠岐佐々木流)を祖とする馬田氏の一族。

尼子方として伯耆国佐川亀山城、伯耆国根雨城に在番とする。

 

伯耆志 佐川村の条 城跡の項

村の東三丁許に在り小丸山と呼ぶ。昔は亀山と云いて天文の頃、馬田源兵衛尉同四郎五郎在城せしと云伝う。元亀中、新山の尼子勢の中に馬田某あり。(尾高前市村の下に記す)この族にや。

 

天文年間(1532年~1555年)

尼子方の武将として馬田源兵衛尉と共に佐川亀山城へと在番する。

 

1571年3月2日(元亀2年2月7日)

浄満原の戦いで尼子方の武将として登場する馬田慶篤は同族としている。(伯耆志)

根雨城の城番としても名が見えるが在番時期など詳細は不明。

 

伯耆志 佐川村の条 小祠 四の項

村の東、東西十六間、南北十二間の平地にあり。天正十三年八月の棟札あり。本願将更に天竺三郎二郎源元氏、神主住田甚兵衛尉久次とあり(仔細下に記す)。新八幡と称する小祠あり。往古此の地の城址にありしを中古今の地にうつすと云えり。下に挙る馬田四郎五郎の霊社なりとぞ。小祠 十三。

 

1585年(天正13年8月)

往古、佐川亀山城の跡地に霊社が鎮座していたと伝えるが、日野郡佐川村の東方に新八幡として移され小祠を残すのみとしている。(伯耆志)

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