所 属

北条

南条

毛利

吉川

よみがな

氏族名

はらだ し

原田氏

河村郡の郡司、原田種頼を祖とする

 

別 名

とうごう し

東郷氏

東郷周辺に土着したことに因む

官 途

出身地

筑前国、伯耆国河村郡

生 年

没 年

大蔵

朝臣

列 伝

平安時代の中頃、筑前国より伯耆国河村郡の郡司として赴任した原田種頼を祖とする一族。

河村郡の東郷荘周辺に勢力基盤を持ち、東郷池の制海権を掌握するに至ると地名に肖り東郷氏を名乗ったとしている。

 

1179年(治承3年2月)

源平合戦では源方に与して壺瓶山の合戦で平方の小鴨基保と戦う。

1179年3月31日(治承3年2月22日)

東郷家平原田俊兼原田俊家が討死する。

合戦は平方の勝利となり、以降は河村郡で勢力基盤の維持に務める。

 

鎌倉時代

北条氏との関係を強化し、松尾大社の所有した東郷荘の地頭職に東郷信平が任じられる。

 

1258年(正嘉2年11月)

松尾大社とは荘園支配に関して係争となったことから幕府へと上奏され、東郷荘を折半する和解案、下地中分が行われたことから「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」を作成したとある。

 

室町時代

鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の勢力が伯耆国から除かれると伯耆山名氏の守護代であった南条氏による圧迫を受け、一族は東郷池周辺の基盤を失っている。

本拠地を東郷池周辺から三朝周辺に移したが勢力を拡大する南条氏の勢いに逆らえず一族は離散したとしている。

 

東郷を名乗った嫡流とする系統は東郷家平から10代程で途絶えたとするが、庶流の一系統が吉川氏へと仕え存続を伝える。

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