所 属
南条
よみがな
人物名
すどう たんば
須藤丹波
別 名
だいどう たんば / おおふじ たんば
大藤丹波
鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」の記述
官 途
不詳(丹波守)
出身地
不詳
生 年
不詳
没 年
1592年~1596年(文禄年間)
氏
不詳
姓
不詳
諱
不詳
列 伝
南条家の家臣とされ、中国国分以降に東伯耆が南条氏の領有となった際は伯耆国今倉城へ在番とある。
入城時期については1582年(天正10年)、1583年(天正11年)、1585年(天正13年)の諸説存在する。
伯耆国最後の国造であった石川氏を焼打ちにより滅ぼした上、所領では横暴な振る舞いが目立ったとしている。
南条氏の意向に従わず、命令違反も相次いだことから文禄年中に誅殺とする。(伯耆民談記)
鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では「大藤丹波」と記されるが誤字と考えられ、同一人物と推定されている。