所 属

織田

毛利

よみがな

人物名

べっしょ こさぶろう ながはる

別所小三郎長治

官 途

不詳

出身地

不詳

生 年

1554年(天文23年)/1558年(永禄元年)

没 年

1580年2月2日(天正8年1月17日)

朝臣

長治

列 伝

播磨国三木城の城主。

伝承では伯耆国高平城の城主と伝え、別所与三左衛門尉を父としている。

 

1578年(天正6年)

織田氏から離反し、三木城に立て籠もって織田方の軍勢と戦う。(三木合戦)

 

1580年(天正8年)

後に「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めによって落城必至の戦況に陥る。

城兵の助命を条件として自身と妻子一族が切腹し、開城することで合戦は終結となった。

先に自刃した妻子と一族十余名の遺体を焼いた後、自身も自刃している。

享年を23とされるが、信長公記では享年26とするなど生年には諸説見える。

 

三木合戦の後、難を逃れた別所一族が伯耆国岸本要害や伯耆国高平城に落ち延びたとする伝承があり、伯耆国内には「別所」と名の付く地名が幾つか見える。

Page Top