武将列伝帖
むらかみ たろうざえもん
村上太郎左衛門
【氏】不明【姓】不明【名】村上【通称】太郎左衛門【諱】不明
別 名
村上太左衛門尉(むらかみ たざえもんのじょう)
出 身
不明
官 途
左衛門尉
所 属
毛利氏
生 年
不明
没 年
不明
- 列 伝 -
伯耆国の国人。淀江を中心に基盤を持った村上氏の一族。
永禄年間には毛利方に与し、兵糧の運搬や兵糧留など後方支援に功績がある。
1563年(永禄6年)7月、毛利方の領する伯耆国河岡城の外城に蓄えられた兵糧が尼子方部隊の襲撃により焼失。
この補充のため杵築(出雲国)から淀江(伯耆国)まで海上輸送の準備が早急に進められ、淀江の港で受け取るよう指示を受けた。
この時の輸送では米俵300俵と、天候により舟が遅れた場合の保険として地元農家から糧秣を買い上げるための資金(銀子)が受け渡されている。
また、この文書にある記述では「村上太左衛門尉」としている。(毛利元就・吉川元春・小早川隆景連署書状:萩藩閥閲録 巻31 山田吉兵衛)
1564年(永禄7年)にも毛利方から米俵100俵が送られ、信頼も厚いことから軍事物資の輸送・管理に優れた将と推測される。
同年2月には毛利方による兵糧留が行われており、毛利奉行人の証明書を持たない者へ兵糧の売買を硬く禁止するよう村上氏に宛て通達されている。(平佐就之書状:東京大学史料編纂所影写本 宮本文書)