月の下半分の名乗り
月の上半分の名乗り
因幡守(陰徳太平記)
不詳
紀
朝臣
伯耆国会見郡、汗入郡、日野郡に基盤を持った在地国人衆、進氏の一族。
月の上十五は「大山寺経悟院」、下十五は「進因幡」を名乗る。
(略)大山の衆徒教悟院精騎三百餘。
1569年8月5日(永禄12年6月23日)
尼子勝久が尼子再興の軍を起こし出雲国島根郡忠山へ入ると、旧臣として300餘騎を率いて馳せ参じており、日野一族や進左吉兵衛の名も見える。
1571年(元亀2年)
伯耆国浄満原の戦いでは尼子再興軍を支援する「大山寺経悟院」として登場する。
自身は300騎、進左吉兵衛は500騎を率いて尼子方に与したとする。(尾高の里Ⅲ)
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