武将列伝帖
しんのさきちひょうえ
進左吉兵衛
【氏】紀【姓】朝臣【名】進【通称】左吉兵衛【諱】不明
別 名
進左右兵衛(しんのさひょうえ)
出 身
美濃国
官 途
兵衛尉
所 属
尼子氏
生 年
不明
没 年
不明
- 列 伝 -
美濃国を拠点とした進氏の一族(一説には本流)とされる。
一部の書籍では通称を「左右兵衛」としている。
伯耆志 箕村の条 進氏 私称之姓の項
天正元年二月、進左吉兵衛、山中鹿之介と京都を発して但馬に入る。(是又当家の族なるべし。原書に載せず、今陰徳太平記に據る)
1571年(元亀2年)、伯耆国浄満原の戦いに於ける記述には登場しないが、大山寺経悟院と共に尼子氏を支援したことから浄満原の戦いへの関与も推測される。
尾高周辺の郷土史では大山寺経悟院が300騎、自身は500騎を率いて浄満原の合戦に赴いたとする記述が見える。(尾高の里(三))
1573年(天正元年)2月、山中幸盛と共に京都から但馬へと向かっている。
1578年(天正6年)、尼子再興軍として播磨国上月城へ籠城した人物として記録が見える。(萩藩閥閲録など)