下安井の役人とする表記
左衛門尉
不詳
伯耆国日野郡下安井村の役人。
巳上
下安井之内美女石従佐川論地之由候 境目者日野河切申付候間巳来可或其意者也
内膳正村詮 丑 五月廿日 下安井役人 太郎左衛門
1601年2月27日(慶長6年1月15日付)
同日付で渡久兵重信より美女石と佐川の境界に関する裁定が行われる。
1601年6月20日(慶長6年5月10日付)
渡久兵重信の裁許に異議を申し立てている。
1601年6月20日(慶長6年5月20日付)
中村家の執政家老、横田村詮から佐川村と美女石村の境界を定めた裁許状を受け取る。
横田村詮は渡久兵重信の裁許を吟味の上、その10日後に日野川岸を境界とする追裁許を示していることが政治手腕の高さを物語る根拠の一つとされている。
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