武将列伝帖
やまな くないのしょう とよゆき
山名宮内少輔豊之
【氏】源【姓】朝臣【名】山名【通称】六郎【諱】豊之
通 称
山名六郎(やまな ろくろう)
別 名
屋形六郎(やかた ろくろう)
出 身
不明
官 途
宮内少輔
所 属
伯耆山名氏
生 年
不明
没 年
1471年(文明3年)9月
- 列 伝 -
山名教之の嫡男で伯耆守護職。山名豊氏、山名之弘、山名元之、山名小太郎の兄。
1453年(享徳2年)7月、「屋形六郎」の記述が見え、この頃には家督を継いでいたと推定される。
家督を継いだ後も実質的には父、山名教之が家長権を握っており、伯耆守護職とするより室町幕府八代将軍足利義政の御供衆として京都で過ごした日々の方が長かった。
1467年(応仁元年)1月、本家の当主、山名持豊より山名教之、子の山名政之と共に京都へ招集されている。
1469年(文明元年)頃、伯耆へ下向。応仁の乱による国内の混乱収拾を図るも及ばなかったとある。
1471年(文明3年)9月、家臣の謀反に遭い由良嶋で殺害された。