所 属
別所
よみがな
人物名
べっしょ おおくらたいふ なりはる
別所大蔵大輔就治
別 名
べっしょ むらはる
別所村治
別 名
べっしょ しげはる
別所重治
官 途
大蔵大輔、加賀守(諾量山瑞応寺伝記)
出身地
伯耆国会見郡岸本村(郷土史)
生 年
1502年(文亀2年)
没 年
1563年2月2日(永禄6年1月30日)
氏
源
姓
朝臣
諱
就治
列 伝
赤松政則に仕えた重臣、別所則治の子とされる人物で異説に別所則定の子とも伝える。
岸本町内の郷土史には出身を岸本村としており、諾量山瑞応寺の伝記では官途を加賀守と伝える。
1526年(大永6年3月)
尼子詮久を追って伯耆国に入ると、対尼子戦を見据え諾量山瑞応寺の建立と併せて伯耆国岸本要害を築城とする。
本尊の護身仏十一面観音像は従兄弟の別所左近忠治が1580年(天正8年)、播磨国の三木より運んだ念持仏と伝え、現存とする。
1532年~1533年(天文元年~天文2年)頃
吉定村へ来たとする伝承では既に岸本要害は築かれており、巨勢氏による築城とされる。
また、別所氏の支城ではなく伯耆国尾高城の支城という扱いとなっている。
1553年(天文22年)
播磨国三木城で尼子晴久の侵攻を退けている。