武将列伝帖
べっしょ おおくらたいふ なりはる
別所大蔵大輔就治
【氏】源【姓】朝臣【名】別所【通称】大蔵大輔【諱】就治
別 名
別所村治(べっしょ むらはる)
別所重治(べっしょ しげはる)
出 身
岸本村
官 途
大蔵大輔
所 属
別所氏
生 年
1502年(文亀2年)
没 年
1563年(永禄6年)
- 列 伝 -
赤松政則に仕えた重臣、別所則治の子とされる人物で異説に別所則定の子とも云われる。
岸本町内の郷土史には出身を岸本村としている。
1526年(大永6年)3月、尼子詮久を追って伯耆国に入ると、対尼子戦を見据え瑞応寺の建立と併せて伯耆国岸本要害を築城したとする。
本尊の護身仏十一面観音像は従兄弟の別所左近忠治が1580年(天正8年)、播磨国の三木より運んだ念持仏と云われる。(現存とある)
1532年~1533年(天文元年~天文2年)頃、吉定村へ来たとする伝承では既に岸本要害は築かれており、巨勢氏による築城とされる。
また、別所氏の支城ではなく、伯耆国尾高城の支城という扱いとなっている。
1553年(天文22年)、播磨国三木城で尼子晴久の侵攻を退けている。