武将列伝帖

ながた ひぜん

長田肥前 / 永田肥前

【氏】不明【姓】不明【名】長田【通称】肥前【諱】不明

別 名

出 身

不明

官 途

肥前守

所 属

不明

生 年

不明

没 年

不明

 

- 列 伝 -

因幡国気多郡八葉寺村周辺に一族30余名で勢力を持った地侍とされる。因幡志では永田肥前。

 

1580年(天正8年)8月、長和田・長瀬川の戦いで敗戦を喫し、因幡国鹿野城の城主、亀井茲矩を頼り落ち延びようとした山名氏豊と家臣の小林源蔵を鳴滝村付近、或いは八葉寺村付近において襲撃し殺害したとされる。

伯耆民諺記、伯耆民談記など伯耆側の文書では群盗の頭目とされ、郷土誌でも山賊、夜盗など無法者とする記述が為され、概ね落ち人狩りを行っていたとしている。

 

因幡志では在地の地侍として一定の地位があった人物としている。

長和田、長瀬川での合戦の後、吉川氏から周辺の村々へは落人を召し出すよう通達があったとされるが、褒賞目当てで山名氏豊らを殺害したとしている。(因幡志)

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