武将列伝帖
こばやし げんぞう
小林源蔵
【氏】不明【姓】不明【名】小林【通称】源蔵【諱】不明
別 名
四宮源蔵(しのみや げんぞう)
出 身
不明
官 途
不明
所 属
伯耆山名氏⇒毛利氏⇒南条氏
生 年
不明
没 年
1580年9月23日(天正8年8月15日)
- 列 伝 -
伯耆国打吹城の城主、山名氏豊の家臣。代々伯耆山名氏に仕えた重臣とされる。
1580年(天正8年)8月、南条元続の催促に応じ、主君の山名氏豊が旧山名家重臣と600騎を率いて羽合平野へ進軍するとこれに従った。
長和田の戦いでは日下川を渡河し、毛利方の杉原盛重の軍勢との戦闘に於いて敗北すると山名氏豊と共に宇野坂から南谷村へと落ち延びている。
山中を逃れ河村郡の舎人村から因幡の勝部谷へ入り、田原谷村に住む知人の百姓の家に匿われ丁重なもてなしを受け一夜を明かしたとされる。
因幡国鹿野城の城主、亀井茲矩を頼るが鳴滝村付近(八葉寺村付近とも)で長田肥前の率いる落人狩りに遭遇し、奮戦するも山名氏豊と共に討ち取られたとある。(伯耆民諺記・伯耆民談記)
没年については誤差含め諸説存在する。