不詳
中間
藤七郎
1333年(元弘3年/正慶2年)2月、船上山の戦いで在地土豪、稲井瀬弘義、梶岡入道を味方へ引き入れたいとする名和基長の意向を伝えるため説得に遣わされた人物。
伯耆之巻では先に梶岡入道の説得に向かい、続いて稲井瀬弘義の説得へ立ち寄ったとされる。
稲井瀬弘義と名和氏は不仲であったことから説得は奏功せず、身の危険を感じ早々に稲井瀬弘義の元を去ったとある。
梶岡入道、稲井瀬弘義への説得は失敗した上、双方とも鎌倉幕府方へ与することとなった。
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