武将列伝帖

たに わかさのかみ なりやす

谷若狭守威安 / 谷若狭守成安

【氏】不明【姓】不明【名】【通称】若狭守【諱】威安

別 名

出 身

不明

官 途

若狭守

所 属

尼子氏

生 年

不明

没 年

不明

 

- 列 伝 -

室町幕府第8代将軍、足利義政の妾の子としている。

伯路紀草稿では尼子経久の西伯耆侵攻(大永の五月崩れ)によって伯耆国淀江城が落城した後、山名守行に代わって淀江城の城主となっている。

 

1524年(大永4年)、大永の五月崩れに於いて戦火に遭い消失した日吉神社に心を痛め、淀江村に居館を移し社殿を再建したと棟札に記されている。(大檀那、日吉社(山王宮)を再建)

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