武将列伝帖

やまな いずみのかみ かげゆき

山名和泉守景幸 / 山名和泉守景行

【氏】【姓】朝臣【名】山名【通称】和泉守【諱】景幸

別 名

久志路和泉守景行 / 久志路和泉守景幸(くしろ いずみのかみ かげゆき)…日野郡内では主に「久志路」と表記。

久代和泉守景行 / 久代和泉守景幸(くしろ いずみのかみ かげゆき)…備後国奴可郡釧の宮氏に因む。久代殿と呼ぶとある。

宮景幸 / 宮景行(みや かげゆき)…宮景盛の次男とする際の表記。

日野景幸 / 日野景行(ひの かげゆき)…山名藤幸から日野山名氏の家督を継承した以降の表記。

日野新二郎(ひの しんじろう)…萩藩閥閲録に所収の文書に見える。

日野左近(ひの さこん)…小早川秀明からの書状に見える。

日野要人(ひの ようじん)…毛利輝元からの書状に見える。

出 身

不明

官 途

和泉守、左近丞(左近衛将監)

所 属

宮氏⇒日野山名氏⇒日野氏⇒小早川氏

生 年

不明

没 年

不明

 

- 列 伝 -

備後国の国人、宮景盛の次男。伯耆国亀井山城主。

 

山名藤幸の家督(日野山名氏)を引き継ぎ日野姓を名乗ったと伝えるが、後に小早川家の家臣となり当地を離れている。

 

伯耆志久連村の条

当村は生山村の住人、景行知行せし。

 

伯耆志では生山村に居住し久連村まで知行したとすることから山名藤幸の家督を引き継いだ後に日野衆の所領を吸収し、日野郡の広い範囲を領有していたことが推測される。

 

1598年3月6日(慶長3年1月29日)付の毛利輝元からの書状では「日野要人」と見える。

 

1599年3月29日(慶長4年3月3日)付の小早川秀明からの書状では「日野左近」と見え、以降の1600年9月26日(慶長5年8月19日)、1600年12月16日(慶長5年11月11日)の書状も同様の宛名となっている。

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