武将列伝帖
おおいしばし し
大石橋氏
【氏】不明【姓】不明【名】大石橋
出 身
会見郡中間庄
所 属
不明
- 列 伝 -
鎌倉時代、会見郡中間庄の地頭職とされる一族。
伯耆国小波城を居城とし、周辺の統治を行ったとしている。
元徳年間(1330年頃)には小波城の城主として一族の大石橋五郎左衛門の名が見える。
1333年(元弘3年/正慶2年)3月3日、家城の小波城は鎌倉幕府軍の佐々木清高によって攻撃を受けている。
船上山の戦いに備え陣城として接収することが攻撃の目的とされることから、一族は幕府方に与していない勢力であったと推定される。
幕府方に包囲され籠城の構えを見せるが放火による焼討を受け落城したと伝わる。
戦いの後、一族に関する記述の一切が途切れるため、小波城と共に滅亡と推測される。
三輪神社に一族やその家臣らを祀ったと云われる五輪塔が存在している。