所 属
尼子
蜂塚
よみがな
人物名
うさぎ はやとのかみ
宇佐木隼人正
別 名
うさぎ だんじょう
宇佐木弾正
伯耆志での記述
官 途
隼人正(江美神社社記)、弾正台(江府町誌)
出身地
不詳
生 年
不詳
没 年
1604年(慶長9年)
氏
不詳
姓
不詳
諱
不詳
列 伝
伯耆国江美城の南の出丸、宇佐木丸の城主で蜂塚氏の家老と伝える。
江美神社社記(日野郡史収録)では宇佐木丸に陣地を構えた人物を「宇佐木隼人正」、江府町誌では宇佐木丸に居住した人物を「宇佐木弾正」としていることから、それぞれが別人(親子や兄弟、親族など)である可能性も推測される。
1564年(永禄7年)或いは1565年(永禄8年)
毛利方の攻撃を受け江美城が落城する。
陰徳太平記には登場せず合戦での詳細は不明。
居城とした宇佐木丸が毛利方の部隊に制圧される描写のみが見える。
終戦後も登場しないことから戦闘での討死か事前に逃亡したと推測される。
江美十七夜物語(江府町報収録)にも登場しないが、本人を基にしたと考えられる家老役の正木文之進が登場する。