伯耆古城図録

えびじょう うさぎまる

江美城 宇佐木丸

鳥取県日野郡江府町江尾(字兎丸)

別 名

兎丸(うさぎまる)

遺 構

郭跡、土塁

現 状

畑地、山林

城 主

(蜂塚方)宇佐木隼人正

築城年

不明

廃城年

不明

築城主

不明

形 態

丘城

備 考

史跡指定なし

参考文献

陰徳太平記[香川正矩 編](明治44年5月 犬山仙之助)

雲陽軍実記[河本隆政 著](明治44年11月 松陽新報社)

伯耆志(因伯叢書 伯耆志巻三 大正5年9月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)

伯耆民諺記(寛保2年 松岡布政)

伯耆民諺記(写)(昭和23年 原田謙)

伯耆民談記 巻下(大正3年3月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)

伯耆民談記(昭和2年10月 佐伯元吉)(昭和35年3月 印伯文庫)

因伯古城跡図志(文政元年 鳥取藩)

萩藩閥閲録(森脇覚書)

江府町の文化財探訪問<第1集>(平成元年3月 江府町教育委員会)

江府町史(昭和50年12月 江府町史編さん委員会)

江尾全図(昭和50年5月 江府町)

新修江府町史(平成20年6月 江府町史編纂委員会)

日野郡史 前篇(昭和47年4月 日野郡自治協会)

江府町報 縮刷版(昭和56年1月 鳥取県日野郡江府町役場)

江府町報 第52号 江美十七夜物語(昭和46年9月10日 井上中山香)

新修鳥取県神社誌 因伯のみやしろ(平成24年6月 鳥取県神社誌編纂委員会)

角川日本地名大辞典 31 鳥取県(昭和57年12月 角川書店)

縄張図

江美城略測図(鳥取県教育委員会提供)

鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)

字「兎丸」周辺図(江府町役場会提供)

江尾全図収録 ※一部着色

 

概 略

伯耆国江美城の南側の出丸とされ、南谷川を挟んだ丘陵尾根の西端部に所在したと云われる。

西は日野川と切岸状の絶壁、北は南谷川、南は奥市川を天然の川掘として利用できることから西の街道を見張る施設としても有能な立地となる。

東側の山中には土塁や堀切、土橋に見張櫓跡と思われる地形も確認できるが防御施設の遺構とするかは不明。

字「天狗瀧日南奥平(ひなおくひら)」、字「天狗瀧日南下平」、字「天狗瀧景上ノ平」を経由することで天狗岳陣所とは比較的容易に連絡が取れる。

 

伯耆志 江尾村の条 城跡の項

(略)又、村の南の方高き地を鬼丸と呼ぶ地。今は田土なり。

 

伯耆志では城跡の項の末尾に江美城の出丸とする記述が見える。

確認できる伯耆志では全て鬼丸となっているが兎(兔)の誤字と考えられる。

いずれの刊行物でも誤字が直されていないことから本丸に対する鬼門の方角を意図する可能性もあるが真意は不明。

蜂塚氏の滅亡後の詳細は不明だが、伯耆志編纂時には既に「田土なり」と記していることから江美城の廃城後は田畑へ改変されていたことが判る。

 

江美神社社記(日野郡史 前編収録)

蜂塚主の家老に宇佐木隼人正と申す武士、陣構え致し居る故に今字を宇佐木丸と申す也。

 

江美神社社記(日野郡史収録)では城主を宇佐木隼人正とし、陣地を構えたことが地名の由来としている。

 

陰徳太平記 伯州江美之城没落之事

(略)翌朝寄手三千餘騎城の左右の山頂に攀じ登り鉄炮を揃へ散々に撃掛ける間、雑兵共堪え兼て城外へ颯と崩れ出でけるを追い詰め一人も残不打取りければ蜂塚はとても叶わじとや思ひけん腹搔き切て失せにけり。

 

1565年(永禄8年)8月、毛利方による江美城攻めでは蜂塚氏が籠もる本丸に向け当城と銀杏ノ段から砲撃・射撃が行われたと推測される。

(伯耆民談記、伯耆志も陰徳太平記の内容を転載しており同内容)

美保関から援軍として到着した部隊の布陣位置と当時の火縄銃の性能と照らし合わせると蜂塚義光が治めた頃の江美城の本丸(詰城)が城ノ上~上ノ段周辺に位置したと考えられる。

陰徳太平記に於いては「左右の山頂」とだけ記述され地名は出てこないが、江美十七夜物語(江府町報 第52号収録)では射撃を行った場所を天狗ヶ滝の山頂、兎丸の台地、銀杏ノ段の台地からとしている。

森脇覚書や三吉鼓家文書によれば感状の発給された日付から1564年(永禄7年)の出来事とされている。

 

因伯古城跡図志

イ・長四十間、横三十間、高十五間マデ

 

1818年(文政元年)の因伯古城跡図志では兎丸の規模についての記述が見える。

 

年 表

不明

蜂塚氏の家老、宇佐木隼人正の居城と云われる。(江美神社社記)

1564年

永禄7年

8月、毛利方の攻撃を受け伯耆国江美城が落城。(森脇覚書・三吉鼓家文書)

1565年

永禄8年

8月、毛利方に制圧され蜂塚氏の籠もる江美城の本丸へ向け銃撃が行われた場所のひとつとされる。(陰徳太平記、江美十七夜物語)

地 図

 

写 真

訪城日 2016/12/18

白尾谷からの遠望

索道入口

索道の道中に横堀(水路跡)

横堀(水路跡)

横堀(水路跡)

電波中継施設

施設裏側の平坦地

主郭

主郭から江美城八幡丸と大山

土塁(或いは土橋)

土塁(或いは土橋)

土塁(或いは土橋)

土塁(或いは土橋)先の見張櫓跡

土塁(或いは土橋)先の見張櫓跡

土塁(或いは土橋)先の見張櫓跡

土橋

土橋

郭跡

郭跡

郭跡

堀跡

堀跡

写 真

訪城日 2013/11/24、2015/08/28、2016/04/12

農作業道

江美城本丸からの遠望

西の郭から江美城八幡丸

城下町の眺め

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

西端の郭跡

西端の郭跡(左側は切岸)

西端の郭跡(切岸の上から)

西端の郭跡(切岸の上から)

郭跡は田畑に改変

土塁

東の谷部(白尾側)

西の日野川

江美城八幡丸と西ノ丸

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