伯耆国 日野郡
てんごうがだけじんしょ
天狗岳陣所
所在地
鳥取県日野郡江府町江尾(字天ゴウ瀧)
城 名
天狗岳陣所(てんごうがだけじんしょ)
別 名
天狗山陣所(てんぐやまじんしょ)…かつて所在した小山に因む呼称。
天狗ヶ滝(てんごうがたき)…所在する字名に因む呼称。「てんがだき」とも呼ばれる。
築城主
築城年
1564年(永禄7年)、1565年(永禄8年)
廃城年
1564年(永禄7年)、1565年(永禄8年)
形 態
陣地
遺 構
不明(郭跡、切岸、虎口、石塁)
現 状
田圃、畑地、山林
備 考
史跡指定なし
縄張図
江美城域図(江府町史収録) ※江府町役場会提供
字「天ゴウ瀧」周辺図(江尾全図収録 ※一部着色) ※江府町役場会提供
参考資料(史料及び文献、郷土史など)
陰徳太平記[香川正矩 編](明治44年5月 犬山仙之助)
雲陽軍実記[河本隆政 著](明治44年11月 松陽新報社)
伯耆志(因伯叢書 伯耆志巻三 大正5年9月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)
伯耆民諺記(寛保2年 松岡布政)
伯耆民諺記(写)(昭和23年 原田謙)
伯耆民談記 巻下(大正3年3月 佐伯元吉 因伯叢書発行所)
伯耆民談記(昭和2年10月 佐伯元吉)
伯耆民談記(昭和35年3月 印伯文庫)
萩藩閥閲録(森脇覚書)
江美城銀杏段丸跡試掘調査報告書(平成13年3月 江府町教育委員会)
江府町の文化財探訪問<第1集>(平成元年3月 江府町教育委員会)
江府町史(昭和50年12月 江府町史編さん委員会)
江尾全図(昭和50年5月 江府町)
新修江府町史(平成20年6月 江府町史編纂委員会)
日野郡史 前篇(昭和47年4月 日野郡自治協会)
江府町報 縮刷版(昭和56年1月 鳥取県日野郡江府町役場)
江府町報 第52号 江美十七夜物語(昭和46年9月10日 井上中山香※)※江府町長 井上健治氏のペンネーム
概 略
伯耆国江美城の東側、字「堀切」を隔てた字「ヲクビ」の東に字「天ゴウ瀧」という台地があり、「天狗山」或いは「天狗岳」という低山が存在したと伝える。
江府町報 第52号収録の「江美十七夜物語」にのみ登場する陣地で物語を脚色するための創作の陣地であると考えられる。
但し全くの創作とは断定し難く、陰徳太平記では江美城本丸に対して左右の山から射撃を行ったとする描写があり、蜂塚方と大山寺との連絡を遮断する意図を考えるなら毛利方の本陣が東側に置かれた可能性も十分に検討される。
伝承では毛利氏による江美城の攻略戦に於いて、総大将であった杉原盛重が陣を敷いた場所とされ、蜂塚氏が籠もる江美城の本丸に対して本陣(天狗ヶ滝)、銀杏ノ段、兎丸から鉄砲による射撃が行われたとしている。(江府町史、江府町の文化財探訪問<第1集>)
天狗岳が消滅しているため程度は不明だが、東の大山に向かって標高が高くなることから江美城の本丸を見下ろすことが可能な高さにあり、江美城の東側防御が他の方角に比べて比較的薄く、緩衝地或いは野戦場とするなら天狗岳周辺までが江美城の城域とも考えられる。
字「天狗滝(てんぐたき)」の地名も見えるが滝の存在は確認できない。
天狗岳が存在した頃に滝があった可能性もあるが現在は砂防ダムが築かれており、この落水が滝のような音を出している。
往古は南側を流れる南谷川(うなんだがわ)の急流から聞こえる音の大きさから天狗滝の名が付いたとも伝えるが定かではない。
字「天ゴウ瀧」からは字「天狗瀧日南奥平(ひなおくひら)」、字「天狗瀧日南下平」、字「天狗瀧景上ノ平」を通り兎丸へと続く道があり、山中には土塁や土橋、堀跡、見張櫓跡などと考えられる施設が残る。
蜂塚氏の滅亡後、当陣について詳細の一切は不明。
1818年(文政元年)の因伯古城跡図志では江美城東側の堀切以東に「此所野原」とだけ記述が見える。
江美城を攻めるための陣城であったため、攻略後の維持は不要とし撤収されたと推測される。
写 真
2017年12月15日