所 属
南条
よみがな
人物名
かわぐち ひさよし
河口久吉
官 途
不詳
出身地
不詳
生 年
1606年(慶長11年)
没 年
不詳
氏
源
姓
朝臣
諱
久吉
列 伝
河口家系図では母を杉原盛重の娘とするが生母か養母或いは行松正盛の娘なのか詳細は不明。
早ければ1581年(天正9年9月)、織田方の水軍によって戸磨利城が焼討を受けた前後、遅くとも1584年~1585年(天正12年~天正13年)の芸京和睦で南条領が確定した頃に杉原盛重の娘は毛利方へと返されていることから生母とは考えにくい。
山名久氏は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、主家の南条家が改易されたため浪人となっている。
同年には戸磨利城も戦火に遭い焼亡し、再建されることなく廃城とされる。
誕生する1606年(慶長11年)頃に一族が戸磨利城を領有したとする記録は見えないが、河口家系図を頼ると戸磨利城は存続していることとなる。
1615年(元和元年)
大坂夏の陣で豊臣方に与した山名久氏は摂津国大坂城で自刃する。
豊臣方の敗北が決した頃、母(杉原盛重の娘)を連れ戸磨利城を脱出とある。(河口家系図)
1616年(元和2年)
長門国厚狭郡有帆中村へ落ち着いたとある。(河口家系図)