所 属
毛利
吉川
よみがな
人物名
しんじ げんば
宍道玄蕃
官 途
出身地
生 年
没 年
氏
姓
諱
列 伝
伝承では室町時代に寺内村へ居住し、伯耆国膳棚山城の城主と伝える。
伯耆志 寺内村の条 赤猪岩の項
村の西四丁許の山麓に在り。此山は上の要害の北に連りて膳棚山又宍道山と呼ぶ。往古宍道玄蕃と云う武士当村に居りし故なりと云へし。民諺記に吉川氏に属せる伯耆の将に宍道某あるは同人歟其裔及び屋敷跡あり。
伯耆志では「民諺記に吉川氏に属せる伯耆の将に宍道某あるは同人歟其裔及び屋敷跡あり」とあり、毛利氏と尼子氏が手万周辺で争う頃の所属は不明であるが最終的に毛利方の吉川氏に属している。
1564年(永禄7年4月)
手万要害(高固屋)へ詰めていたが片山某の寝返りに遭い、焼討を仕掛けられたとする伝承では毛利方の武将と伝えられる。