所 属

毛利

よみがな

人物名

しょうやまのなにがし

生山某

官 途

不詳

出身地

不詳

生 年

不詳

没 年

不詳

不詳

不詳

不詳

列 伝

伯耆志では口碑にのみ伯耆国江美城の城番を務めたと伝える。

 

伯耆志 江尾村の条 城跡の項

口碑には蜂塚氏の後、生山某一代、荒木刑部一代、今田左衛門尉、其後吉田佐太郎藤江蔵人なと云う人在城せし由云伝う。

 

1564年(永禄7年)或いは1565年(永禄8年)

毛利方によって江美城が制圧された後、城番に任じられたひとりとされる。(伯耆志)

生山村(或いは周辺を領有した一族)に関係すると推測され、一代のみ城番を務めたことが記述に見える。

 

江美城の攻略戦では生山方面から援軍として宮景盛が参陣しており、これに従った山名藤幸宮氏の一族とも考えられる。

山名藤幸を同一人物とするなら、後に毛利方へ反乱を起こし殺害されていることから名が伏せられたとも推測される。

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