不詳(鳥取藩士 民兵銃取立役)
不詳
敬蔵
鳥取藩士。
漢学者であり師事する青年達からの評判も良く、村民からの信頼も厚かったと伝える。
1863年(文久3年)
砲術家の武宮貞幹、会見郡大庄屋の山根作兵衛らと上道村に鳥取藩台場 境台場の建造を開始する。
自身は砲台配置など武装に関わる設計に携わり、城砦の基本設計は松波宏元による築城とされる。
1864年(文久4年)
鳥取藩台場 境台場の城塞部分が完成する。
1868年(明治元年11月)
鳥取藩台場 境台場の砲壇に武装が施され台場としての機能が整ったとある。
明治初め頃まで民兵銃取立役として鳥取藩台場 境台場の運営と組織の統括を担ったとされる。
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