よみがな
人物名
うまだ しちろうえもんのじょう
馬田七郎右衛門尉
出身
不詳
生年
不詳
没年
不詳
氏
源
姓
朝臣
名
馬田
通称
七郎右衛門尉
諱
不詳
官途
右衛門尉
所属
尼子
列 伝
宇多源氏(隠岐佐々木流)を祖とする馬田氏の一族。
尼子方として伯耆国佐川亀山城に在番し、伯耆国江美城の蜂塚義光に協力した武将と推定される。
毛利元就書状 (山田家文書 新鳥取県史収録)
山田民部丞殿 元就
其表永々在番候て辛労之をこそ存候処。今度日野郡敵心付而、心遣之段不及申候。雖然其方種々以短息気遣。馬田七郎右衛門尉引成。蜂塚要害切崩、則時被郡仕返候。粉骨之段、不知所謝候。連々付可有忘却候。猶、赤川十郎左衛門尉(就秀)可申聞候。 謹言。
(永禄7年)八月廿五日 山田民部丞殿 元就
1564年(永禄7年)8月、毛利方による江美城攻略戦では尼子方の援軍として参戦しているが山田満重によって撃退されたとしている。(萩藩閥閲録 山田家文書)