【 武将列伝更新 】

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尼子経久佐々木伊予守

言わずと知れた、尼子氏が中国地方の覇者となる礎を築いた人物。

先日に更新したの天王原居館小松城を調べていると文政11年(1828年)の伯州六郡郷村帳に「城主佐々木伊与守古城あり」と見えたことから少し調べてみました。

「佐々木伊予守」は出雲国の守護代に「佐々木伊予守秀貞」なる人物がいますが、南部町で紹介される伊予守は尼子経久のことであろうと考えられます。

ではなぜ「尼子」の名を出さないのか?

これは地元での聞き取りからの推測ですが、大永の五月崩れの元となった尼子氏による会見郡への蹂躙が推測されます。

伯耆国内では尼子氏に極端なアレルギーを持つ地域があり、書物や伝承を組み合わせると当時の政治情勢が見えてくるのかもしれません。

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