米子城
打吹城
黒坂城
江美城

最 新 情 報

2022/12/04

伯耆古城図録(倉吉市篇)赤磐城

詳細は不明。本当に情報が見つかりません…。

城域の大部分が八幡町に属しますが伯耆民談記には留海村が見え、村名に因んで富海城と言うこともあるとか。

打吹城の支城と考えられる城砦ですが、一考には四十二丸城の属城とも推測されます。

往時は赤岩山景雲寺という寺院が存在したこと、字名が赤岩であることから「赤岩城」の方が自然なのですが、何故か赤磐城と表記される謎の多い城跡です。

(鳥取県倉吉市八幡町、鳥取県倉吉市富海)

2022/10/10

伯耆古城図録(倉吉市篇)高城大平山城

高城城の出丸とされる城砦。

城歴は高城城に倣うものと考えられますが、立地や導線、残存遺構から推測して下福田城の詰城とも考えられることから現在の高城城とは運用目的が異なる城砦であったことが推測されます。

地元郷土史の「高城史」では高城城の想像図に出丸として描き込まれています。

(鳥取県倉吉市上福田)

2022/09/29

伯耆古城図録(倉吉市篇)高城城

国府親俊の居城。

大永の五月崩れでは一戦もせずに落城したことから「唯落の城」という蔑称の方が有名な城跡です。

高城山の山頂を主郭として、山塊はもちろん南北の谷すら越えて城域に取り込む程の巨大な山塞です。

規模に対して遺構の密度はそれほど高くはありませんが、城域の範囲だけを見れば伯耆手間要害に匹敵する広さを誇ります。

南側(市道福谷線の脇道)からは主郭に続く登山道が整備されているので比較的楽に踏破できる山城です。

(鳥取県倉吉市福富、同福積、同上福田、同沢谷、同服部 他)

2022/07/02

米子城と皆生温泉を紹介するパンフレットが出来上がりました!

これを読めば米子城と皆生温泉の歴史について”ほんの少しだけ”詳しくなれる(かもしれない)PRパンフレットを方々の協力を得て制作しました。

米子城と皆生温泉が歴史で繋がることにピンと来ない方が大半と思いますが、実は吉川広家が伯耆国の統治を認められていなければ「皆生(海池)」の地名は誕生していなかった可能性があったりなかったり…など、米子旅行のみやげ話の一助になれば良いなと思い原稿を作らせて頂きました。

興味を持たれた方はお近くの施設で手に取って頂けると幸いです。

配布施設と制作の裏話)(配布場所一覧

2022/06/08

伯耆古城図録(倉吉市篇)三江城※加筆修正+写真追加

高城城の支城と伝わる以外は詳細不明。

近くには捷号作戦による本土決戦を意識した「ち号演習」の痕跡と伝える洞穴跡が遺されています。

(鳥取県倉吉市三江)

武将列伝更新

国府伯耆守親俊高城城の城主とする人物。名が「国府」「国司」「国造」と書籍によって表現がまちまちで、それぞれ別人で考えないといけない気もしますが…どの書籍も諱以外の詳細は不詳。一説には南条虎熊(南条宗勝の幼名)と同一人物とも伝えています。

2022/06/05

伯耆古城図録(日野郡江府町篇)江美城 城ノ尾丸※加筆修正+写真追加

蜂塚氏の家臣、藤井蔵人の居城と伝えます。

城主の藤井蔵人については尼子氏、毛利氏、中村氏の全てに同名の武将が家臣として登場することから同一人物説と別人説の両説が考えられています。

1536年(天文5年)に蜂塚右衛門尉及び藤井蔵人の両人が江美城を居城としたと伝える伝承から、往時の江美城が「城ノ上」or「銀杏ノ段」or「当城」or「城ノ上+銀杏ノ段+当城」と、可能性の沼がどんどん広がっています。

(鳥取県日野郡江府町江尾)

2022/04/19

武将列伝更新

馬田源兵衛尉…伯耆佐川亀山城の城主とする人物。佐川神社へ25石を寄進したとするのみ伝わります。

馬田四郎五郎…伯耆佐川亀山城の城主とする人物。伯耆根雨城の城主にも同名の人物が伝わります。

馬田七郎右衛門尉…永禄7年(1564年)8月、江美城の戦いでは援軍として登場するも山田満重によって撃退されています。

馬田入道慶篤…元亀2年(1571年)、毛利方と尼子残党による浄満原の戦いに登場します。坊主なのに拝金主義だったのか…黄金装備を身に纏って偵察に出たところ(そりゃ見つかる)を敵に見つかり、装備一式は高橋資高に奪われ、首級は壇上重行に挙げられた挙句、両名ホクホクの笑顔で帰っていったという散々な結末を迎えます。

2022/04/15

伯耆古城図録(日野郡江府町篇)更新佐川亀山城

天文年間(1532年~1555年)に尼子方の武将であった馬田源兵衛尉馬田四郎五郎の居城と伝えます。

米子自動車道の建設によって城砦中央部に改変を受けていますが、独立丘陵の全域を城域とするならそれなりの規模を有した城砦であったと考えられます。

永禄7年(1564年)8月、江美城での合戦では馬田七郎右衛門尉なる人物が蜂塚義光への救援に向かっているようですが、毛利方の山田満重によって撃退されていることから馬田七郎右衛門尉も当城の城主のひとりであった可能性が考えられそうです。

(鳥取県日野郡江府町佐川)

2022/02/03

伯耆古城図録(境港市篇)更新外江城

萩藩閥閲録では天正年間、奈佐日本介が外江村に逗留し練兵(恐らく水軍)を行ったとしています。

往時はまだ弓浜半島が存在しておらず、中海に浮かぶ小島のひとつであったと思われますが、陰徳太平記では永禄年間より毛利方の雲伯の主要な軍港として出雲国の福良山とセットで度々登場します。

残念ながら城跡の候補と考える推定地の全てに遺構は見られず、字名から痕跡を辿ることも難しい城跡となっています。

(鳥取県境港市外江町、鳥取県境港市渡町、鳥取県境港市芝町)

2022/01/26

伯耆古城図録(北栄町篇)更新堤屋敷

伯耆山田氏累代の居城と伝える堤城の城域内に所在する堤屋敷

堤城を詰城とする山田重直らの居館部と伝えますが詳細はイマイチはっきりとしません。

自衛隊編纂の「山陰古戦史」では堤城よりも戦略的に重要な施設になり得るとしていますが、これも編纂時の地形から検討されているため、往時の堤屋敷の戦略的価値が堤城を上回っていたとするかは判断の難しいところです。

小字名に「堤屋敷」とあり、北尾集落のほぼ全域が「堤屋敷遺跡」と呼ばれます。

(鳥取県東伯郡北栄町北尾)

2022/01/12

武将列伝更新

進因幡…月の上十五は「大山寺経悟院」、下十五は「進因幡」を名乗っていることから兼業坊主?進左吉兵衛と共に吉川元春に対抗します。

更新情報履歴

上 へ

戻 る