伯耆古城札-第2弾-
伯耆古城札
香原山城
香原山城
米子城
打吹城
黒坂城
江美城
伯耆古城札

最 新 情 報

2021/02/26

伯耆古城札 】伯耆古城札、第2弾の頒布を開始しました。

今回も揮毫は鳥取県立米子西高等学校書道部様とのコラボ制作。

恐らく県外の方は聞いたことのない古城跡という事でパンフレットも付録として同梱しております。

案内パンフレットは古城札のいずれかをお買い上げいただいた際に付属としておりますが、配布予定数に達し次第終了となります。

委託頒布先(2月26日現在)

米子まちなか観光案内所様 鳥取県米子市灘町1丁目19(水曜定休)

【インターネット通販】しろ凸たんWeb Shop

2020/10/05

攻城団様のブログにて伯耆古城札(12種)を一覧に追加して頂きました!

攻城団ブログ

【現在467城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

伯耆古城札委託頒布を開始しました!

【 米子城と城下町名に由来する古城札 】

米子城(原初米子城とする東の出丸、飯山城と北の出丸、内膳丸)と伯耆国内各所の城下町から米子城下へ移り町名の由来となった古城跡の名称を揮毫し、その古城の城主、城代に縁のある家紋をあしらった古城札です。

鳥取県米子市へ訪れた際の記念として、しろ凸たんが制作しましたオリジナル古城札となります。

※当初は米子城下のチェックポイントで各札を入手する企画でしたが、昨今のコロナウィルス感染症の情勢を鑑み、いずれか1カ所、必要最小限の訪問で全てが揃うよう企画を縮小させて頂いております。単品での販売は店舗・施設ごとに異なりますのでご注意ください。

2021/01/05

伯耆古城図録(日野郡江府町篇)更新俣野ノ土居城

日野山名氏の祖とされる山名義幸の居館と推定される城館跡です。

他の城主として「フヂユキ」さんの伝承があり、山名藤幸か、訛って山名氏之などが推測されています。

伯耆志では山名氏幸として山名氏之(右馬頭)とは別人である!としていますが、列挙される三人の兄弟を見る限り同一人物としか思えないワケで…伯耆志の記述を鵜呑みにしていいものか悩みます。

(日野郡江府町俣野大字尾上原)

2020/12/21

伯耆古城図録(西伯郡南部町篇)更新峰山砦

先日の久明山城に続き、手間要害の属城のひとつと推定される城砦です。

東の麓の宮前館、西の麓の古要害とは繋がっているため、3城を合わせるとそれなりの規模となります。

この城砦も名称は出てこず詳細は不明ですが伯耆闘戦記にそれらしい城砦が登場します。

所在する位置によって防衛設備の造作が全く違うため、一つの城砦で複数の城跡を巡った気分になれます。

(西伯郡南部町宮前)

2020/12/04

伯耆古城図録(西伯郡南部町篇)更新久明山城

西伯郡内最大級の山城、手間要害の属城のひとつと推定される城砦です。

特に名称が出てくる城砦ではなく、伯耆志では伯耆合戦記(天保2年の伯耆陰徳合戦記)の妄説から語り継がれる架空の古城跡と酷評を受けています。

元となった伯陽闘戦記は尾高城岡成城としたり、地名を武将へ擬人化するなど記述の全てが創作と疑われますが、現地に残る平削地や周辺の地形から久明山に城砦が所在したことは創作話ではないと考えます。

(西伯郡南部町阿賀及び西伯郡南部町法勝寺)

2020/12/03

伯耆古城図録(日野郡江府町篇)更新 ※加筆修正 】江美城

毎年江尾十七夜で賑わう日野郡内でも特に栄えた城郭のひとつです。

戦国期の江美城については陰徳太平記にある「伯州江美之城没落之事」がベースとして語り継がれ、元江府町長の井上中山香氏が著した「江美十七夜物語」は陰徳太平記の内容に物語が追記される形です。

「江美十七夜物語」が実際の出来事と断言できない部分もありますが、城主の蜂塚義光や妻のお市の方、毛利方の将兵の動向が考証を踏まえた上で推測され、落城時の情景がイメージしやすい物語となっています。

(日野郡江府町江尾)

2020/11/25

伯耆古城図録(米子市篇)更新 ※加筆修正 】飯山城

伯耆米子城の興りとされる城砦です。江戸時代に描かれた古絵図と同様の形で石垣などが残っています。

短期間で毛利氏と尼子氏が奪い合い、城主とされる山名氏や事件の経緯について諸説見えます。

武将列伝更新 ※加筆修正 】山名秀之

毛利氏に与した伯耆山名氏。大永の五月崩れから約40年後、尼子氏から飯山城を取り返します。

武将列伝更新 ※加筆修正 】山名之茲

山名秀之飯山城を取り返した翌年、山中幸盛に唆され謀反した上、ちゃっかり飯山城も奪います。

武将列伝更新 ※加筆修正 】山名之玄

山名之茲が吉川元春に討伐されて暫く平穏でしたが再び反乱勃発。字面的に山名之茲の略字で同一人物?

今回も首謀者は山中幸盛さん。(2回目)

武将列伝更新 ※加筆修正 】山名之益

郷土誌に登場。略歴が山名之玄と同内容のため山名之茲を写し間違えた可能性大。

今回も首謀者はやっぱり山中幸盛さん。(3回目)

武将列伝更新 ※加筆修正 】山名久秀

略歴は山名之玄と同じく尼子方に与した人物。伯耆民談記に見える山名之秀山名之玄と同一人物)を写し間違えた空想上の人物と推定され、首謀者は不明ながら恐らく山中幸盛さん。

2020/11/17

伯耆古城札 】鳥取県立米子西高等学校漫画研究部様とのコラボ制作で古城札の案内パンフレットを制作しました。

案内パンフレットは古城札のいずれかをお買い上げいただいた際に付属としておりますが、配布予定数に達し次第終了となります。

委託頒布先(2月15日現在)

トイズキッチンカフェ様 鳥取県米子市西倉吉町57番地(木曜定休、米子城、打吹城、田内城の単品頒布あり)

米子市立山陰歴史館様 鳥取県米子市中町20(火曜休館、米子城、飯山城、内膳丸の単品頒布あり)

米子ニューアーバンホテル様 鳥取県米子市中町28(頒布はセットのみ。米子城単品は宿泊のお客様(且つ、希望者のみ)への記念品として無料進呈予定)

米子まちなか観光案内所様 鳥取県米子市灘町1丁目19(水曜定休、全種単品頒布あり)

【インターネット通販】しろ凸たんWeb Shop

2020/10/05

攻城団様のブログにて伯耆古城札(12種)を一覧に追加して頂きました!

攻城団ブログ

【現在467城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

伯耆古城札委託頒布を開始しました!

【 米子城と城下町名に由来する古城札 】

米子城(原初米子城とする東の出丸、飯山城と北の出丸、内膳丸)と伯耆国内各所の城下町から米子城下へ移り町名の由来となった古城跡の名称を揮毫し、その古城の城主、城代に縁のある家紋をあしらった古城札です。

鳥取県米子市へ訪れた際の記念として、しろ凸たんが制作しましたオリジナル古城札となります。

※当初は米子城下のチェックポイントで各札を入手する企画でしたが、昨今のコロナウィルス感染症の情勢を鑑み、いずれか1カ所、必要最小限の訪問で全てが揃うよう企画を縮小させて頂いております。単品での販売は店舗・施設ごとに異なりますのでご注意ください。

2020/11/03

伯耆国 鳥取藩台場 八橋野戦台場

伯耆国内で計画された2基の野戦台場の内の一つ。

鳥取藩史収録の扣帳に台場は早々に完成したとあり(知らないうちに出来てたような書き方…)、重火器の武装が施され、弾薬も支給されています。

八橋は幕末まで鳥取藩の管轄であったため、国指定文化財に登録された他の伯耆国内の台場とは設計思想や運用目的が異なるようで、残存部が台場に由来する遺構であれば色々な意味で貴重な遺跡になりそうです。

(東伯郡琴浦町八橋)

2020/10/26

武将列伝更新 ※加筆修正 】福頼元秀

伯耆米子城飯山城)の城番。「福頼左衛門尉」として1524年の大永の五月崩れでは尼子方の侵攻に抵抗し部隊を指揮する武将として登場し、1598年(慶長3年)の慶長の役では蔚山の戦いで戦功を挙げるなど、約一世紀という長いの間、戦場の第一線で大活躍する武将です。

活躍期間の長さから三国志で言う蜀将、廖元倹(廖化)を髣髴とする武将ですが、彼と同様に途中で同名の人物に代わっている可能性もあります。

武将列伝更新福頼吉蔵

福頼元秀の二男とされる人物。父と共に行動することが多かったようで伯耆香原山城の戦いや蔚山の戦いで戦功を挙げています。

武将列伝更新 ※加筆修正 】村上新三郎

福頼元秀の六男とされる人物。島根表で戦功を挙げた後、出雲国へ異動していることから出雲国で福頼氏の拠点を維持した人物と推定されます。

武将列伝更新 ※加筆修正 】羽倉元陰

尼子方の武将で中国の前漢時代の豪将、樊噲に例えられる無双(或いは最強と言っても過言ではない?)の勇将。福頼元秀とは米子城で一戦交えます。

腕っぷしの強さもさることながら風向を捉える能力に長け、火計を得意としたようです。

2020/09/18

伯耆国 岩倉城

9月26日(土)の倉吉教育委員会さん主催の「岩倉城ウォーク」に向けて伯耆岩倉城の記述を見直しました。

伯耆民談記(大正3年の発行)の記載に合せましたので、修正前とは小鴨十二士の名前が変わっていたり出来事の発生年月日が不明から一部判ったものなどを調整しています。

関係する武将列伝はまだまだ甘いですが…岩倉城ウォークの前の予習に活用いただけたらと思います。

(倉吉市岩倉)

2020/09/17

城娘図鑑更新林 華亜羅伯耆 香原山城

麓にある仁王堂公園に巨大な烏天狗の像があります。

付近の伝承では特に何かをしたワケでもなく、ただ自由気ままに飛び回っていた…という、何ともテキトー(失礼)な言い伝えがあります。(そんな伝承でもこんな巨大な像が建ってしまうのですね…)

香原山城に訪れた際、ぜひ寄って写真に収めてみてはどうでしょうか?

2020/09/15

伯耆国 北ノ城

天神野台地の北端に所在したと云われます。

現在は倉吉市立西中学校や住宅地となり、往古の遺構はほぼ消滅したとされます。

伯耆岩倉城の支城の一つとされ、名前の由来は「岩倉城の北にある城」とのこと。

但し距離が相当離れているため岩倉城の支城とするより伯耆市場城の出城と捉えた方が自然かもしれません。(倉吉市西倉吉町)

2020/08/25

武将列伝更新村上行明

但馬国上頭、下頭の地頭。北条氏に追われ伯耆国に亡命とされますが、比叡山延暦寺で修業し大山寺の領地を貰う、修行から逃げ出た挙句大山寺の領地を奪う、懇意にしていた北条政子から伯耆国に領地を貰う、会見長田荘の藤原氏の領地を奪う…様々な面白い説がありますが名和長年の曾祖父にあたる人物です。

武将列伝更新村上行盛

村上行明の子で名和長年の祖父にあたる人物です。

「行明・行盛」と、だいたい村上行明とセットで記述されるおまけ的存在…。

武将列伝更新長田行高

名和長年の父。 内河弼家の娘を嫁にもらい、名和長年の母となります。

武将列伝更新内河弼家

信濃国から伯耆国へ亡命してきます。村上氏とは同じ先祖を称し、北条氏に領地を追われ伯耆に辿り着く境遇まで同じ内河一族。最終的に名和氏と合流したようです。娘が名和長年の母。

武将列伝更新内河右頼

内河弼家の子で妹が名和長年の母。

武将列伝更新村上新三郎

伯耆米子城飯山城)の城番、福頼元秀の六男とされる人物で富長村に出張し居住したとされることから伯耆富長城の城番、福頼左右衛門と同一人物…かもしれません。

2020/08/11

武将列伝更新大坪甚兵衛

因幡私都城に在番。尼子再興軍も恐れて手を出したくなかった毛利方の剛将。

腕っぷしの強さだけでなく寡兵で大軍を打ち破る巧みな用兵まで用いる知勇兼備の将。

山中幸盛をさんざん馬鹿にします。(散々舐めた上に1,000騎が100騎に負けるものだから…)

武将列伝更新境與三右衛門

毛利家の家臣。各地を転戦した歴戦の猛者。その胆力は趙雲に勝る…かな?

因幡鳥取城が落城し、因幡丸山城から下城するときの立ち居振る舞いはドラマの主人公になりそうな真の侍です。

2020/08/10

伯耆国 香原山城

香原山の合戦は伯耆国内最後の大規模な戦闘であったと伝えられます。

登場する行松次郎四郎は素性がいまいちわからなかったり、戦の進め方も手際は良いけど微妙に詰めが甘かったり、本当に起こす必要があったのか…などを含めて謎の多いお城です。(西伯郡大山町宮内)

武将列伝更新林元親香原玄蕃允元親

1333年(元弘3年)頃、香原山城の城主であったと伝わります。

武将列伝更新行松次郎四郎

行松正盛の次男を称する人物。行松正盛の次男は杉原景盛では…?

行松家を正当に継承したのは杉原家では…?

細木原合戦で降伏して1年経たずにまた離反…色々と謎(問題)が多そうな人物です。

武将列伝更新牛尾春重牛尾大蔵左衛門

一族の存続のため毛利家に降った牛尾一族。尼子と毛利に分かれ同族で戦う場面が多く見られます。

出雲平田城や因幡鳥取城の城主を任され、同僚の吉田元重には「項羽の再来だ!」と言わしめた豪勇の士です。

2020/07/19

武将列伝更新福山綱信福山肥後守

1564年(永禄7年)6月、伯耆不動ヶ嶽之夜討、続く弓浜合戦、1565年(永禄8年)9月の伯耆八橋城救援戦、同年10月の伯耆法勝寺城襲撃戦など多くの戦に参加しています。(陰徳太平記)

尼子家に仕えた武将でも忠臣の一人に数えられる人物です。

武将列伝更新福山源五郎

福山綱信の子。伯耆新山城の城番。1565年(永禄8年)3月の落城時の城主と伝わります。

武将列伝更新福山藤三郎

福山綱信の養子。1565年(永禄8年)10月の伯耆法勝寺城襲撃戦で登場します。

2020/07/18

武将列伝更新四郎太夫

1564年(永禄7年)6月、伯耆不動ヶ嶽周辺で起きた親尼子派の村民による一揆の主導者とされる人物。同じ頃、尼子方の義臣、福山肥後守による如来堂への襲撃も起こります。(陰徳太平記)

主な舞台は伯耆不動ヶ嶽城(鳥取県日野郡日野町中菅)など。

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