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2024/06/24
【 伯耆古城図録(倉吉市篇) 】下福田城
伯耆高城城を詰めの城とした居館部と推定される城跡ですが現時点で文献には一切の記述が見えません。
立地から考察すると詰め城としたのは伯耆高城城ではなく、伯耆高城大平山城と考えられます。
残存する遺構から考察すると水運を管理した港湾施設と考えられますが、字名に「定福寺」「阿弥陀居寺」と見えることから寺院であったことも伺えます。
※googleMapで上福田に所在とありますが、誤りのようです。
(鳥取県倉吉市下福田)
2023/07/13
打吹公園内に鎮座する鎮霊神社の鎮座する平坦地に所在したと伝えられます。
伯耆民談記では「南条屋敷」で統一されていますが、地元では「備前屋敷」と呼ばれます。
これは城館に居住した「南条備前守」の名或いは官途に由来するものですが、ここに登場する備前守は南条元信と考えられます。
南条家で「備前守」の官途を名乗ることは家臣団でも重要な立場を担うことであり、南条元信は嫡男ではなく弟の南条信正に「備前守」を譲っています。(南条信正は後の南条元続の後見人とされます)
城歴については打吹山に備前丸を普請するために建てられたことが見えますが、廃城を一国一城令発布後か、倉吉陣屋が完成するまで存続したとするかでやや幅があります。
(鳥取県倉吉市仲ノ町)