武将列伝帖

ふじわら し

藤原氏

【氏】藤原【姓】朝臣【名】

別 名

出 身

不明

所 属

伯耆山名氏 尼子氏 毛利氏

 

- 列 伝 -

藤原鎌足(中臣鎌足)を始祖とする一族。

伯耆国内では支流の一族が平安時代頃、法勝寺周辺に勢力を持ち会見郡長田荘を治めている。

 

建久元年(1190年)10月13日頃、大舎人允の藤原泰頼が伯耆国会見郡長田の庄得替を願い出て所領安堵の沙汰を得ている。

 

1320年(元応2年)頃、会見郡長田荘の周辺は藤原泰親が勢力を保っていたことが伺え、後醍醐天皇の時代頃の製作とされる鉄鋳仏の光背に「大檀那藤原泰親大願主藤原氏女院主宗賀大工道覚 元応二庚甲四月廿一日」と銘が見える。

 

伯耆志 宮前村の条 古屋敷の項

社地の北の地名をかく呼びて空堀の形あり。棟札に天文四年、代官藤原某と記せるあり。此人の墟なりと伝へり。尼子の臣なるべし。

 

1535年(天文4年)、尼子氏の家臣として伯耆国宮前館藤原某が居住したとされ、尼子氏の支配下にあったことが伺える。(伯耆志)

 

山陰地方を毛利氏が掌握すると伯耆国は吉川氏による統治が行われ、吉川氏も藤原南家の流れを汲むことから吉川元春藤原朝臣元春とする棟札も見える。

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