武将列伝帖

ふくやま とうさぶろう

福山藤三郎

【氏】不明【姓】不明【名】福山【通称】藤三郎【諱】不明

別 名

出 身

不明

官 途

不明

所 属

尼子氏

生 年

不明

没 年

1565年(永禄8年)10月10日

 

- 列 伝 -

福山綱信の養子。

 

1565年(永禄8年)10月10日、福山綱信平野又右衛門らと三村家親の居城であった伯耆国法勝寺城を襲撃する。

法勝寺城での戦いで福山綱信が討死した際は敵衆の勝鬨の方へと駆け付け、首級が敵の手に渡ることがないよう福山綱信の首を刎ね地中深くに埋めている。

福山綱信の首を埋め隠した後は再度敵陣へと突入し数人を斬り伏すが、この時に深手を負い一揆衆の手にかかることを良しとせず自刃している。

後に田の畔で三体の遺体が見つかり、この遺体の首と福山綱信の腕が洗合の本陣(出雲国洗合城)へと送られている。(陰徳太平記 巻第三十九 福山肥後守討死之事)

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