武将列伝帖

よしだ さきょうのすけ

吉田左京亮

【氏】源【姓】朝臣【名】吉田【通称】左京亮【諱】不明

別 名

出 身

不明

官 途

左京亮

所 属

尼子氏

生 年

不明

没 年

不明(1532年~1555年の天文年間)

 

- 列 伝 -

出雲吉田家の一族。伯耆国大江城八橋城)の城主で嫡子に吉田元重

伯耆国尾高城の城主、吉田光倫は兄と云われる。

 

1524年(大永4年)、尼子氏の伯耆侵攻(大永の五月崩れ)によって尼子氏が伯耆国を掌握。

行松氏の家城であった八橋城を攻略すると居城とし、兄の吉田光倫と共に西伯耆三郡の軍政を任されている。

 

1546年(天文15年)、橋津川の合戦では南条宗勝と橋上で戦っている。

南条方を水計にて一方的に壊滅させる説、積載過多により橋が崩壊したため双方の軍勢が水没するなど諸説見える。

 

天文年間(1532年~1555年)、播磨国で三村家親と戦い討死とされ、家督は子の吉田元重が引き継いでいる。

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