武将列伝帖
こもり もくのしょう ひさつな
小森木工允久綱
【氏】不明【姓】不明【名】小森【通称】木工允【諱】久綱
別 名
-
出 身
不明
官 途
木工允
所 属
但馬山名氏⇒毛利氏⇒南条氏
生 年
不明
没 年
不明
- 列 伝 -
東伯耆の国人、小森氏の一族とされる。
1546年(天文15年)6月28日、武田国信・伯耆国人衆の連合軍と尼子氏の戦、橋津川の戦いでは伯耆国人衆連合軍の一将として参陣。
南条宗勝らと橋津口に2000余騎を率いて布陣し、尼子方の将、吉田筑後守、吉田左京亮の兄弟らが率いる2,000余騎と対峙した。
橋津川の戦いはこれまでの通説では1540年(天文9年)10月の出来事とされていたが、現在では史料の整合性から1546年(天文15年)6月28日の出来事とされている。
伯耆から尼子氏の勢力が一掃されると伯耆国堤城の城主、山田重直と共に南条氏の家臣となることを直前まで渋っている。
東郷町誌には本人名義の寄進状が収録されているが、前書きに「羽衣石之城主南条家御証文」とあることから本人による寄進には矛盾点があるとし、主君であった南条氏の意を受け、執行者として名を記したことが通説とされている。