所 属
毛利
吉川
よみがな
人物名
さかい びぜんのかみ つねとし
境備前守経俊
通 称
さかい まごえもん
境孫右衛門
官 途
備前守、右衛門尉
出身地
不詳
生 年
不詳
没 年
不詳
氏
不詳
姓
不詳
諱
経俊
列 伝
吉川元春の部将で伯耆国河岡城の城番。
1563年(永禄6年)
山田満重の後任として吉川元春より河岡城の城番に任じられ、対尼子戦に助勢したとある。
1564年7月15日(永禄7年6月7日)
尼子方の福山綱信が三村家親を狙い、日野郡の不動寺を襲撃した際、福山綱信の煽動によって不動ヶ嶽村周辺では親尼子派の村民による一揆が熾る。
吉川元春の命を受け一揆の鎮圧のため350騎の軍勢を率いて出陣する。
1564年7月16日(永禄7年6月8日)
日野郡の不動ヶ嶽に到着すると香川光景、入江利勝を大将とする部隊に再編されている。
部隊の再編後、三村家親の本隊1,000騎、香川光景、入江利勝の別動隊350騎は左右より福山綱信の部隊を挟撃し敗走させている。