所 属

毛利

よみがな

氏族名

うまやはら し

馬屋原氏

官 途

出身地

安芸国神石郡

上総国馬屋原庄

備後国神石郡志摩利庄

生 年

没 年

朝臣

列 伝

清和源氏を祖と称し、戦国時代は備後国神石郡周辺に勢力を有した一族。

 

1582年1月19日(天正9年12月25日)

伯耆国八橋城にて杉原盛重が没する。

杉原盛重の死後、伯耆国にて杉原元盛杉原景盛の兄弟による家督争いが起きるが、事態は杉原景盛の誅殺によって収束することとなった。

伯耆国での家督争いによって杉原家は改易となり、杉原家の所領であった備後国神石郡の高蓋村、豊松村が与えられたことを契機に備後国神石郡周辺を掌握している。

 

1583年(天正11年)

伯耆国会見郡の金龍山雲光寺領に関する文書に馬屋原俊久の署名と花押に関する記述が見える。(伯耆志)

杉原景盛の誅殺後は伯耆国内に杉原家が領有した知行の一部を引き継ぎ、伯耆国会見郡の小松庄を領有していたことが読み解ける。

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