所 属
毛利
馬屋原
よみがな
人物名
うまやはら かわちのかみ としひさ
馬屋原河内守俊久
官 途
河内守
出身地
不詳
生 年
不詳
没 年
不詳
氏
源
姓
朝臣
諱
俊久
列 伝
毛利氏の家臣。安芸国神石郡周辺に勢力を持った馬屋原氏の一族。
1582年(天正10年)
杉原盛重の死後に起きた家督争いを原因とする杉原家の改易後は馬屋原氏が伯耆国小松城周辺を治めており、この頃の小松城の城主と推測される。
伯耆志 御内谷村の条 雲光寺の条
馬屋原氏又毛利氏の臣なり
伯耆志 御内谷村の条 雲光寺の条
小松村雲光寺寺領坪付之事
以下上の如し
右之田畠壹町三百分云々以下上の趣と大概同じ
天正十一 三月五日 馬屋原河内守俊久(花押)
雲光寺
1583年4月26日(天正11年3月5日)付
金龍山雲光寺の寺領について区画の把握(坪付)を行っており、署名と花押が見える。(伯耆志)
伯耆志 御内谷村の条 雲光寺の条
御寺領之内横枕壹段之儀者人給被遣候是者先判之事候可被成御分別候為替地田小はけ之前田右同所之上河内給之上合壹反被遣之候為其一通申上候仍如件
天正十一 八月十九日
馬屋原河内守俊久(花押)
吉田木工允元政(花押)
雲光寺足下
1583年10月4日(天正11年8月19日)付
金龍山雲光寺の寺領に於いて土地の交換に関する文書へ署名と花押が見える。(伯耆志)