【 伯耆古城図録(倉吉市篇) 】大谷城

最終更新日

2023/01/24

【 伯耆古城図録(倉吉市篇) 】大谷城

城歴は一切不明ですが、光源院文書では大谷村に関する記述が幾つか見られます。

内容を辿ると伯耆山名氏(山名氏之)が統治する頃に出現する保国寺との繋がりが考えられ、瀑岩等紳や惟高妙安など広徳軒に関係する僧へ寺領として寄進されていきます。

後に毛利氏へと与した南条宗勝の実効支配となりますが、光源院領の寺納分(年75石)を幾年に亘り毛利方へ上納していないことが問題となり、時の将軍であった足利義昭からも催促が来る始末となります。

結局、南条氏から寺納分が上納されることなく毛利氏と南条氏の対立が決定的となり、吉川氏は実質的に保国寺領を治めていた奥上忠兵衛尉に対して「南条は無視していい。所領の自由な統治を認める。好きにやれ」と、南条氏からの離間工作が行われていた描写などが読み取れます。

現存する遺構からは天正年間に吉川氏と南条氏の双方から改築を施された城砦であることが推定され、現地で攻防戦が行われたことを物語ります。

(鳥取県倉吉市大谷 / 鳥取県倉吉市上神)

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