武将列伝帖

はっとり わかさ くにとも

服部若狭邦友

【氏】不明【姓】不明【名】服部【通称】若狭【諱】邦友

童 名

金彌(きんや)

出 身

不明

官 途

若狭守

所 属

中村氏

生 年

1593年(天正20年/文禄元年)

没 年

1609年(慶長14年)5月11日

 

- 列 伝 -

伯耆国米子城の城主、中村一忠の小姓。禄高は1,500石。

中村記では禄高を1,000石としている。(中村記(弐) 稲葉書房 昭和49年6月)

 

1609年6月12日(慶長14年5月11日)、中村一忠が急逝すると同じく小姓であった垂井延正と共に殉死している。

中村一忠垂井延正と共に遺体は常住山感應寺へ埋葬され手厚く葬られたと伝わり、辞世の句を残している。

 

「かねてより おもひ設けし事なれは 君さき立てて行くそう礼しき」(伯耆民談記)

「かねてより 思い定めし道なれば 君諸共にゆくぞ うれしき」 (米子の歴史)

 

現在、中村一忠の墓碑が建立されている場所にはかつて御影堂が建ち三名の木像が祀られていたとされるが、御影堂が朽ちたこともあり、中村一忠の三百五十回忌に合わせて大五輪の墓碑が建てられると木像は本堂に移され祀られることとなった。

 

法号 立行院梅窓常薫。

享年は16歳。

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