所 属
南条
▶
毛利
吉川
▶
南条
よみがな
人物名
しょうじゅいんのせいどう りあん
正寿院ノ西堂利庵
別 名
しょうじゅいんのせいどう りあん
正寿院ノ西堂利安
官 途
不詳
出身地
不詳
生 年
不詳
没 年
不詳
氏
平
姓
朝臣
諱
不詳
列 伝
小鴨清佐の弟とされる人物。
南条氏に与した小鴨元清とは対立関係にあったとしている。
1565年9月26日(永禄8年9月3日)
毛利元就の命を受けた南条宗勝が山田越中守、一条市助、南条元信と共に入城させたとある。(東郷町誌)
1579年~1585年(天正7年~天正13年)頃
吉川方として伯耆国今倉城に在番した部将のひとり。
武勇に優れ、同じく今倉城の城番を務めた鈴川次郎左衛門と並び称されている。
1584年~1585年(天正12年~天正13年)
中国国分により伯耆国八橋城は南条氏の領有となり南条元信、山田越中守、正寿院利庵などが在番とする。
南条方の城番とすることから再び南条方に与したと推測される。