所 属

南条

毛利

吉川

南条

よみがな

人物名

しょうじゅいんのせいどう りあん

正寿院ノ西堂利庵

 

 

別 名

しょうじゅいんのせいどう りあん

正寿院ノ西堂利安

 

官 途

不詳

出身地

不詳

生 年

不詳

没 年

不詳

朝臣

不詳

列 伝

小鴨清佐の弟とされる人物。

南条氏に与した小鴨元清とは対立関係にあったとしている。

 

1565年9月26日(永禄8年9月3日)

東郷町誌では伯耆国八橋城の城主を杉原盛重としている。

毛利元就の命を受けた南条宗勝山田越中守一条市助南条元信と共に入城させたとある。(東郷町誌)

 

1579年~1585年(天正7年~天正13年)頃

吉川方として伯耆国今倉城に在番した部将のひとり。

武勇に優れ、同じく今倉城の城番を務めた鈴川次郎左衛門と並び称されている。

 

1584年~1585年(天正12年~天正13年)

中国国分により伯耆国八橋城南条氏の領有となり南条元信山田越中守正寿院利庵などが在番とする。

南条方の城番とすることから再び南条方に与したと推測される。

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