兵衛尉
不詳
1604年(慶長9年)
中村一忠の正室、浄明院の世話係として松平氏より江戸から遣わされた人物。
中村家からの俸禄は200石。道家長右衛門は兄と伝える。
(略)江戸より御書至て道家長右衛門(此方に従て江戸より来れり)同長兵衛、天野宗範等死を賜う。
一、道家長右衛門、五百石。道家長兵衛、200石。家康様より奥へ御付候て御越被成候。故、江戸にて切腹被仰付候。
1603年12月16日(慶長8年11月14日)
中村一忠によって横田村詮が殺害される。
騒動後は安井清一郎、天野宗杷、道家長右衛門、近藤善右衛門が駿河で取り調べを受けている。
安井清一郎、天野宗把、道家長右衛門の3名は切腹の沙汰となり、兄の道家長右衛門に連座して江戸にて切腹となった。
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