武将列伝帖
どうけ ちょうざえもん / どうけ ちょうえもん
道家長左衛門 / 道家長右衛門
【氏】不明【姓】不明【名】道家【通称】長左衛門【諱】不明
別 名
道上長左衛門(みちがみ ちょうざえもん)
道長長右衛門(みちなが ちょうえもん)
出 身
不明
官 途
左衛門尉、右衛門尉
所 属
松平氏⇒中村氏
生 年
不明
没 年
1604年(慶長9年)
- 列 伝 -
中村一忠の正室、浄明院の世話係として松平氏より江戸から遣わされた人物。
中村家からの禄高は500石。
文書によって名を道長や道上、通称を長左衛門或いは長右衛門と記述されるがいずれも同一人物。
伯耆民談記では「東都(駿府)より忠一簾中への御附人なり」としている。
1603年(慶長8年)に起こった横田騒動では横田村詮の刀を持った侍童を斬り伏す描写が描かれ、安井清一郎に与したことが伺える。
安井清一郎、天野宗把と共謀し内乱を起こしたとする罪で道家長兵衛と共に江戸にて切腹の沙汰となった。
異説には横田騒動が起こった遠因に浄明院の傲慢な態度が関係したとも云われる。
世話係として諌めることが出来なかったことに責任があるとして浄明院の身代わりとして罪を着せられたことが推測される。