兵衛尉
不詳
1603年12月17日(慶長8年11月15日)
中村家の家臣。禄高は600石。
周囲からは「能き人」として優れた才能を讃えられる程の人物と伝えている。(続群書類従)
1603年12月16日(慶長8年11月14日)
中村一忠によって横田村詮が殺害される。
横田村詮殺害の報せを受けた横田主馬助が横田家の遺臣200余名と飯山の砦(内膳丸とも)に立て籠る。
遠山小兵衛(六百石)。能人にて誉申仁にて候えども五郎渡合討死仕候。
1603年12月17日(慶長8年11月15日)
中村方の総攻撃が始まると書院責口(表門)へ攻撃を仕掛けている。
書院責口を守備する剣豪、柳生宗章と渡り合うが討ち取られた。
柳生宗章との戦いで受けた傷が原因で後日死亡したとも伝える。
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